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妖精の系譜 №29 [文芸美術の森]

民間伝承をもとに作り上げられたパック 2

     妖精美術館館長  井村君江

 十六、七世紀におけるイングランドのすべてのホプゴブリンのうちで、もっともよく知られ、もっともしばしば言及されたもの。実際のところある意味では、ロビン・グッドフェローは、ホブゴブリンに属する他のすべてのものを包含し、ホブゴブリンに属する他の名称は、すべてロビン,グッドフェローの別名と思われるほどであった。シェイクスピアにおいてすら、ロビン,グッドフェローとパックは同一存在である。『夏の夜の夢』でパックとさ迷う妖精の間にとり交されるすこぶる有益な会話の中で、妖精がパックを「ロビン・グッドフェロー」と呼んで会話が始まるのであるが、その妖精はパック自身が「パック」と呼ばれるのを好むと考えているふしもある。
 「ホプゴブリンとか、かわいいパックとか呼んでくれる人間には、あんたは力になって幸運を与えてやるんでしょう」

 右の引用の中で、プリッグズが指摘しているように、、パックは「ロビン・グッドフェロー」とか、「スイート・パック」と呼ばれるのが好きであるようで、そう言われると人間によいことをするといわれている。前述したようにパックには悪魔と同義語であった歴史があり、悪名を「スイート」という言葉でやわらげられるのを喜んだこともあろうが、ロビン・グッドフェローと言われたりホプゴブリンと呼ばれると喜ぶとされているのは、当時、妖精王オベロンの息子ロビン・グッドフェローの冒険物語が流行しており、民衆の間でその名が有名であったのを、シェイクスピアが知っており、そのポピュラーな名前で呼ばれるのをパックが嬉しがったからともとれようか。『ロビン・グッドフェローの生涯』、『ロビン・グッドフェローのバラッド』及び『パックのいたずら』といった作者不詳の小冊子の物語は、一六二八年にコリヤーが蒐集し、一七八三年になってジョゼフ・リトスンが『イギリス歌謡集』の中でとりあげ、さらに一八四五年にバリウエル=フィリップスが『ロビン・グッドフェローの生涯』という題をつけて一冊に編むのだが、その中で「確証はないが、シェイクスピアもこれらの小冊子を読んでいたであろう」という推定を述べている。
 一六二八年には、『ロビン・グッドフェロー、悪ふざけと陽気な悪戯、罪のない浮かれ騒ぎ、沈んだ心を治す良薬』という題であったこの物語は、二部より成っており、ロビンの出生、家出、冒険、いたずら、最後にオベロンに連れられ妖精の国を見るまでが語られる。あらすじはまず第一部で、妖精王オベロンが人間の美しい田舎娘のもとに通って息子が生まれ、ロビンと名づけられるが、半妖精すなわち人間と妖精の合いの子で、「早熟さ、いたずら好き」という性質はあっても妖精としての特別の能力はない。六歳であまりにいたずらで母に叱られて家出し、仕立て屋の小僧となるが、すぐに逃げ出し地べたに眠って妖精の夢を見る。目覚めると傍に黄金の巻き物があり、それは父オベロンが妖精の能力を授けてくれたものであった。「自分の好むものは手に入り、馬や豚、犬や猿に変身できる」超能力を授け、「正直者を愛し困った者を助け、悪い者ほこらしめる」ことを教えたものであった。早速その能力を使い、馬に化けて悪い田舎者を乗せ水たまりに放り出すと、「ホーホーホー」と大笑いをして逃げ出したりする。
 第二部では、好きになった「気立てのよいきれいな女中」の手助けをして、亜麻をほぐしたり小麦粉をふるいにかけてやる。ロビンが服を着ていないのに気づいた女中がチョッキをやると、「クリームがほしかったのに、ホーホーホー!」と笑いながら行ってしまう。また鬼火に化けて旅人を迷わせたり、ウサギに変身して繁みに人をさそって尻をつねったり、熊に変身して食物を一人占めにしたりの活躍をする。最後に父オベロン王はロビンを妖精界に連れてゆき、親指トムのバグパイプの音楽で妖精たちと踊ったあと、「人間界には明かしたことのない妖精界の秘密」をみせ、ロビンは一生をホブゴブリンとして送ることになるというのが物語である。
 『夏の夜の夢』の中ではパックは、ティタニアの侍女の妖精に「すばしっこいいたずら好きのロビン,グッドフェロー」あるいは「ホプゴブリン」と呼ばれており、パック自身の台詞から彼のやることは「手臼を動かして村の娘をびっくりさせたり」、「おかみさんがバターを作ろうとするミルクの上澄みをすくったり」、「ビールの酵母を泡立たなくしたり」、「夜の旅人を道に迷わせたり」、「子馬に化けて雄鳥をだましたり」、「焼きりんごに化けておばあさんの薬酒にもぐり込んだり」、「三脚椅子に化けておばあさんに尻もちをつかせたり」という、いたずらぶり、変身ぶり、悪ふざけ、陽気な戯れ、掃除をしたりの清潔好きなところ等が語られているが、これらは本来のロビン・グッドフェローと非常に類似した性質と活躍ぶりである。
 またその描写の筆つきにも類似したところが多く、バリウェル=フィリップスは註の中で、もしロビン,グッドフェローの小冊子がシェイクスピアより先だという確証があれば、明らかに彼はこの物語を粉本にパックを作ったといえるようであると言っている。例えば次の一節は夜の情景と月夜の踊りを歌ったものである。

  月は澄んで輝いて
  フクロウどもは月に従い
  人間どもも枕の上で
  いまや休む その時に
 一格蟻どもは壇出をし
  人間どもを夜ガラスは
  死者の国へと呼び招く。

 『夏の夜の夢』の終幕で、深夜の鐘が十二時を打つと、登場するパックは次の歌を歌うが、この情景がそのまま重なってくる。両者はともにこのあと「いまや踊らん楽しげに」となるのである。

  いまやライオンどもは飢え、
  狽どもは月に吠え
  つらい仕事に疲れはて
  疲れた百姓眠る間に、
  いまや暖炉も燃えつきて、
  鋭くフクロウどもは鳴き、
  瀕死の床に臥す人に、
  思い出させる死の衣。

 シェイクスピアはさらにパックの性質に、前述したタールトンが来世でなった「家庭の守護神」の属性も与えており、新郎新婦の新床を清めて子孫の繁栄や幸福をもたらす能力を与えている。パックは『夏の夜の夢』の最後で、この属性を持った「家つき妖精」あるいは「家事妖精」の象徴である「帯」をかついで登場するのであるが、実はロビン・グッドフェロ1も帯を持って夜歩きをする。「ロビン・グッドフェローは帯を肩にかついでよく夜歩きまわり、「煙突掃除屋」と叫ぶのだが、もし誰かが彼を呼んだりすると、「ホーホーホー!」と言って笑いながら逃げていってしまう」。
 物語ではオベロンとロビン・グッドフェローは親子であるが、『夏の夜の夢』ではオベロンとパックは王とその宮廷の従者となっており、王の命令を忠実に遂行するところは、プロスベロとエアリエルの関係に似ている。四十分で地球に帯をかけられる飛翔能力、薬草で人を眠らせる術もなかなかであるが、ダッタン人の矢よりも速く飛んで命令を遂行したらこれが彼の聞き違いで、間違えてしまうところなどは少々あわて者だし、失敗を叱られると、「ここから先は、運命に手綱を渡しましょうよ。誠実な恋なんか百万人に一人、約束の空手形が飛び交ってどうなることか」と茶化してしまうところなぞ滑稽で愛すべき「化け茶目」(坪内冶遠の命名)であり、民衆に愛されてきた妖精のイメージをシェイクスピアが巧みに用いてパックを作りあげ、舞台で縦横に活躍させたことがわかるのである。
 『夏の夜の夢』に登場するオベロン、ティタニア、パックという三人のフェアリーに共通する重要な特徴がひとつある。それはこの三人の性格が喜劇的なものになっているという点であって、この一見外的な事情が、こののちのイギリスの妖精の性格を決めるのに少なからざる影響を与えた。シェイクスピアは妖精を舞台に乗せるのに、当時としては比較的広い範囲から材料を集め、これを自由自在に駆使しているが、それにしても彼はあくまで劇作家であって、妖精の登場もまた観客の喜びのための一つの趣向である。そしてこの戯曲が喜劇であり、妖精たちが脇役として軽い扱いを受けるのではない以上、彼らもまた喜劇的にならざるを得なかった。従って載然と区別することはできないにしても、妖精本来の性格と同時に喜劇の登場人物(先にかれを「魔法を使うフォルスタッフ」と述べたことを思い出していただきたい)としての性格も持ちあわせているのが、オベロンでありティタニアでありパックであって、これは次に述べる『嵐』のエアリエルの性格と比べればよくわかることである。またこのことが『夏の夜の夢』の成功もあって、これ以後のイギリスの妖精の性格をある程度変えたということができるだろう。

『妖精の系譜』 新書館



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