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妖精の系譜 №26 [文芸美術の森]

 月の女神の性質を持つ妖精女王ティタニア

     妖精美術館館長  井村君江

 オベロンの妃のティタコアの素性は、古典世界のきらびやかな神話体系に属する。ティタコアという名はオウィディウスの『転身物語』の中でダイアナに与えられているいくつかの異名のひとつであって、ダイアナはウラノス(天)とガイア(地)との間に生まれたタイタン族(巨人神族)の一人である太陽ソルの姉妹であるところから、ダイアナにもタイタンの生まれを意味するタイタニア(巨人の娘)、転じてティタニアという名がつけられたわけである。そして妖精の女王がティタニアと呼ばれる理由としてはおそらく以下のような推定が可能である。すなわち当時のイギリスではギリシャ神話に数多く登場するニンフやナイアドを自分たちの頭にあるフェアリーと同じものと考えていた。例えばオウィディウスの『転身物語』は、この時代にアーサー・ゴールディングによって英訳され、シェイクスピアが読んだのもこの訳だと思われるが、この英訳の中でニンフないしナイアドはみな「フェアリー」とか「フェアリー・エルフ」あるいは「ウォーター・フェアリー」とおきかえられている。そのため妖精=ニンフ、そして妖精の女王はニンフを多く引き連れる月の女神ダイアナとなったと推定されるのである。
 ジェイムズ一世はその著『悪魔学』の中で、ダイアナとそのさ迷う侍女たちはフェアリー〈phairie〉と呼ばれると言っており、ダイアナと妖精の女王を重ねているし、またスペンサーも妖精の女王をダイアナ、シンシア(月の女神)、フィーピー(輝ける女)とも呼んでおり、月と妖精、「月の女神」と「妖精の女王」とを結びつけることは当時は一般的だったようである。スペンサーの『妖精の女王』の成功は確かに影響が大きく、例えばジョン・リリーによる、ハートフォード伯爵が「バンプシャーのエルベサムを御巡幸中の」エリザベス女王に捧げた余興の仮面劇(一五九一)では、フェアリー女王は「オレオーラ」という名のもとに白銀の杖を手に現われ、エリザベス女王を讃え歌うが、女王は月の女神フィーピーとして輝くというように描写されている。

  地下に住むこのわたくし、
  オレオーラはフェアリ1の国の女王にして、
  夜ごとに彩りはなやかな花の輪のなかで
  踊りまわり、エリザベスの名を称え歌う、
  陛下に義務を尽さんとするわがために、
  海の神(ネレウス)と森の神(ウルバン)が、近ごろ、
    英国の女王陛下を歓迎し、
  魔法の枚で大地を開いたと聞く、
  フェアリーの王オベロンより与えられたる
  この花の冠を戴き、恭しく陛下に御挨拶申し上げる。

 しかし、この映像にティタニアという名を作って付したのは、シェイクスピアである。
 シェイクスピアの喜劇に登場する女王ティタこアにもこのギリシャの女神の悌(おもかげ)は濃厚に残っているが、乙女であることと純潔の守護神としての資質は失われている。彼女には夫があるし、「月夜に出会うとは運が悪いな、高慢ちきのティターラ」と夫から言われて、「何ですって、嫉妬(やっかみ)やのオベロン、あちらへお行き、妖精たち、こんな人とは共寝はおろか遊んでもやらないと決めたんだから」ときりかえすところなどなかなか活発でコケティッシュでもある。惚れ薬のせいとはいえロバの頭をかぶったボトムに熱をあげるところや、我儀で高慢で強情で、自分の過失をなかなか認めない点などまったくシェイクスピアの喜劇の中の女性であるが、それでも女神ダイアナの性質は残っていて、「月が、ほら、泣いているみたい。月が泣くと小さな花も一輪残らず渦を流す。きっとどこかで乙女が積されたのよ」などと言うのは月の女神として当然だろうし、露のおりた夜、空飛ぶ獲物を追い求める不思議な女狩人になるのもダイアナの資質である。ティタニアも侍女たちも夜に属していて明け方がくるとどこかへ去ってしまう。
 妖精たちは花々や昆虫に囲まれて暮らしており、「からし種」や「蜘妹の巣」「豆の花」「蛾の君」という名からも判るとおり、植物や花、蝶や昆虫のようであり、微小で、繊細で美しい。女王ティタニアのベッドの天蓋は甘い香りを放つスミレやスイカズラ、窮香薔薇でできており、蛇のエナメルの皮や蠣幅の皮の翼は妖精の服になり、妖精たちは蜂の巣から蜜嚢を、リスの倉からクルミを集め二月夜の原で唄に合わせて輪踊りをしておくれ」とティタニアは言うが、妖精たちが歌うのは子守唄であり、トカゲ、ハリネズミ、イモリ、蛇などに象徴されているように「わざわい、まじない、あやしいものは、女王さまには近よるな」という守護の歌で安らかな眠りをさそい、夢路に導く幻想的な呪(まじな)いの歌である。
『夏の夜の夢』と同年に出版された作者不詳の『乙女の変身』、そしてジョン・リリーも『エンディミオン』で小さい妖精をすでに描いているので、極小の妖満はシェイクスピアが初めて創作したものとは言い切れぬところがあるように思われる。次の一節は『乙女の変身』の中の、身体がハエに乗れるほどの大きさの妖精の描写であ。、「からし種ほどの大きさ」に等しいようである。

 妖精1 花々の上を飛び跳ねて、
     林をあちこち駆けまわり、
     それから蝿にまたがって、
     み空を高く運ばれて、
     さあさ、旅にお出ましだ。

 フロリス・ドラットルはこの『乙女の変身』の妖精とシェイクスピアの極小の妖精の描写に関して、「シェイクスピアの作品ではさらに見事に発展させられてはいるが、こうした類似は単なる偶然の一致というにはあまりに似すぎている」と指摘しており、妖精の極小さがシエイクスピアだけの創造ではなく、当時他の作家たちも妖精をそうした小ささで描いていたのではなかろうかという推定を立てている。
 ティタコアと並んで、シェイクスピアが妖精の女王に与えた名前にマブがある。マブ女王は『ロミオとジュリエット』のマキューシオの台詞に登場し、「妖精の産婆」と呼ばれ、人の頭に夢を生む妖精の女王になっている。昔から、眠っている者、とくに女性の上に乗って圧迫し苦しめて悪夢(性的な夢)を見せる夢魔(インキユバス、ナイトメア)の存在が信じられており、これは女性への欲情ゆえに堕ちた堕天使といわれているが、マブ女王も、「仰向けに寝ている娘を押さえつけ、重い荷物をのせることを教え、亭主思いの良妻賢母に作りあげる」とあり、女の夢魔(サッキユバス)の性質を備えていることが見られる。
 妖精に夢魔の性質を見ていたことは、『シンベリン』の中でイモージュンが寝室で眠りにつく前に、「妖精たちや夜の誘惑者たちから、どうか私をお守り下さい」と祈る言葉にもうかがえるが、さらに妖精が夜の魔物として恐れられていたこともこれらの台詞からわかってくる。この場合にはフェアリーと「夜の誘惑者」をならべて書くことで、実はインキュバスを暗示しているのではないかとも思われる。インキュバスは夜中に眠っている乙女のもとへ忍びこんでこれを犯すと信じられた一種の魔物で、中世にはその存在が広く認められ、これの扱いが法律にまで定めてあった。つまりシエィクスピアは処女イモージュンの心理の奥にある性に対する恐怖を巧みに表現し、それによってイモージュンの清純な性格を逆に強調しているといえよう。

『妖精の系譜』 新書館


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