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妖精の系譜 №25 [文芸美術の森]

チュートン伝説と物語詩(ロマンス)から生まれた妖精王オベロン

     妖精美術館館長  井村君江

 オベロンは、ティタニアの夫で、妖精国の王でありアセンズの森の支配者であるが、ルネッサンス初期にはオーベロン(Auberon、Oberyeon、Oberionn〉という名は一般的であり、魔術師の使い魔にもこの名が使われていたことが見出される。妖精の王としてこの名が出てくるのは、十五世紀のロマンス『ユオン・ド・ボルドー』においてで、“小さな蛮王(ル・プチ・ロア・ソーバージュ)〃と呼ばれ、森の小人王として現われる。この物語の英訳はバーナーズ卿の手でなされているが、シェイクスピアは彼と知り合いでもあり、この訳書を読んでいたことは通説になっている。
 この物語に出てくる〝小さな蛮王″とあだ名されているフェアリーの王オベロンの性格は、なかなか複雑で魅力的なものであって、詩人がこの物語を読めば気をそそられることもうなずける。この物語自体の筋はこうである。ボルドーのユオンはシャルルマーニュの息子にそむかれてその攻撃を受けるが、逆にこれを殺し、戦士の神託のとおりに勝利者となる。大帝は彼に不可能に近い遠征を命じ、追放も同様に宮廷を追い出す。ある日ユオンはフェアリーの王オベロンの住む森にやってくるが、王の魔力が自分の身の危難につながるような予感を感じる。あるフェアリーが彼に、王と口をきいてはいけない、さもないと王の魔法にかけられ、生命も危ういと忠告する。オベロンはユオンを出迎えて、いろいろ質問をあびせるが、口を開かないので彼と従者とを猛烈に打ちのめし、遂には口をきかざるを得ないようにする。しかしながら二人はすぐ友人の仲になり、フェアリー王はユオンの気高い精神にうたれて、不思議な杯と徳の角笛を贈る。こののちフランスの騎士ユオンはオベロンの魔法に助けられて、すべての試練に打ち勝つ。オベロンは死ぬ直前にユオンに超自然的な贈り物を遺し、魔法の使い方をみな教え、なおかつ彼をフェアリーの王として戴冠させる。
 物語詩の典型的な要素とカロリンガ朝の叙事詩の入り混じったこの本は、当時多くの詩人たちがそれぞれの空想にもっとも適合した部分を発掘した豊かな鉱脈で、なかでもスペンサーは自在に利用した。例えば『妖精の女王』の中でオベロンとユオンの歌われている部分は、次のようである。

 彼は闘技に長じ、(闘技場の)柵内でよく戦った
 彼がオペロン王の妖精の国に来た時
 騎士達は彼サー・ユオンと友誼を通じた

 スペンサーはユオンとアーサー王とを同時代にしたまちがいは犯しているが、妖精王にオベロンという名を付してイギリスにとりこんだのは彼が初めてであり、これ以後エリザベス朝の劇作家たち、とくにロバート・グリーンなどは『ジェイムズ四世』の戯曲で妖精王をオベロンと名付け、「静寂の、喜悦の、利益の、満足の、富の、名誉の、そして全世界の王」として登場させている。シェイクスピアの『夏の夜の夢』のオベロン王が登場する基盤はすでにできていたといえよう。
 ヨーロッパでオベロンが誕生した事情はもっと複雑である。彼が生まれるのはチユートンの伝説の中であって、『ニーベルンゲンの歌』の中でジークフリートがニーベルンゲン一族から勝ちとった財宝を護る「アルベリヒ」(Alb=elf十rich=rol、king)に由来し、また十三世紀ドイツのロマンスの集大成である英雄伝説(ヘルデンブッフ)の中では、ペイニン・ソルダン王の娘を求めてシリアへ旅するドイツ皇帝オルトニートの遠征に際して、ちょうどフランスの『ユオン・ド・ボルドー』でオベロンがユオンを助けたように、小人の王が皇帝を援助している。この小人の王はエルベリヒとなっているが、これや『ニーベルンゲンの歌』のアルベリヒがフランスを経由して(Auberich→Oberon)と変化していったのである。
 オベロンは森の妖精の王であり、背丈は三フィート、ずんぐりして不恰好だが天使のような顔をしている。オベロンはジュリアス・シーザーとケファロニアと呼ばれる「隠れた島の貴婦人」との間に生まれた息子になっている。誕生の時多くの貴族や身分の高いフェアリーたちがやって来るが、招かれなかったフェアリーが怒り、生まれた子は三年目からあとは成長しないことを贈り物にしたため、背が伸びないが、他のフェアリーたちが美しさ、他人の考えを見抜く力、自分や他人を思うところへ運ぶ能力、城、宮殿、庭園などをよそに移す力などを贈り物にする。このためオベロンは超人的能力を持つが、この世を去る時にはパラダイスに席が用意されていると自ら言うように、フェアリーの国に住んでいても「死すべき人間」であった。
 このオベロンの身体つきについての「彼の背丈は三フィートしかなく、肩は曲がっている」という記述は、チュートン系のエルフに関するものとよく一致する。チュートン伝説の中から彼に関する言及をひろってみると、彼はアジアの専制君主のような豪華な堂々たる生活をおくっている。彼の容貌自体が極めて美しく、彼の見事な宮殿は黄金の屋根とダイヤモンドの尖塔を持ち、カリフの豪著な邸にも比肩しうる。そして宮廷の人々は一人残らず美しい上衣をまとい、そのまばゆさが太陽にも匹敵するような宝石で身を飾っていたとある。
 種々雑多なキリスト教的要素もオベロンの性格には入っている。ジュリアス・シーザーの子であることは、S・リーによればシーザーとアレクサンダー大王は「中世の伝説の中では教皇のローマと皇帝のローマ、すなわちキリスト教圏と西ローマ帝国を象徴する」のであって、キリスト教的な伝承のオベロンの、非公式ながら重要な位置というものもうかがえるのである。彼の力はイエスに由来し、最後にはフェアリーとしての楽しい暮らしを棄てて天国の座の方を選ぶことになっている。そしてもう一つ、オベロンはアーサー王伝説からもその資質の多くを借りている。彼はアーサー王伝説では「死者の霊との交流による予言に極めて秀でていた」アーサー王の異父姉モルガン・ル・フェとジュリアス・シーザーの息子であり、彼の超自然的能力は誕生の折にフェたちから与えられたのだとされ、彼がモムーアの東部で死の床についていた時、彼にとっては伯父にあたるマーリンがアーサー王と共に彼を見舞ったとも言われている。他のいくつかの点では、彼はまたケルトの伝承とも結びついている。例えば彼の「天使の如き面貌」とか、正直な人間の手が持てば中のワインは飲めども尽きないという魔法の金杯とか、あるいはひと吹きでどんな願いも即座にかなえ、吹く者のもとに一瞬のうちに救援の手をもたらすという象牙の角笛などは充分ケルト的であるし、ユオンがあるフェアリーから「もし一言でも彼に話しかければ、汝は永遠に失われてしまう」と言われてこの言葉を容れること自体、ケルト伝説によっている。
 シェイクスピアはこの伝説のオベロンをそのまま自分の芝居の中に生かしたのではない。彼がオベロンに付与した性質のうちでもとくに目立つのは、怒りっぽさである。インドから盗んできた可愛い取り換え児(チェンジリング)を女王と争って月夜に出会うたびに口喧嘩をし、挙句の果てには女王に仕返しをしようとパックに命じて彼女の目に惚れ薬を塗らせたりする。怒。っぽさは嫉妬と結びついて、「嫉妬(やっかみ)やさん」と呼ばれ、「怖ろしく機嫌が悪く気が短い」などと言われる。女王が人間にしたことを一つ一つあげつらうかと思うと、自分もフェアリーの国から抜け出して、コリンという羊飼いに化け、麦笛で恋歌を吹きながら、フィリグという色っぽい娘を口説いたりする。この芝居はアセンズの領主シーシアスとアマゾンの女王ヒポリタの婚礼の宴をめぐる話であり、ヒポリタはオベロンの想いものであるが、一方、シーシアスはティタニアがよく一緒に遊びまわった男である。この夫婦は普段は一人一人勝手に暮らしているのだが、シーシアスとヒポリタの婚礼を祝いに戻ってきて、アセンズの森でばったり出会ったわけである。
 確かにオベロンはオウィディウスが「闇の王(ウンブラウムヌ・ドミヌス)」と名付けた冥府の王プルートーに似ているが、人間の恋のかけひきを姿を隠して見守り、最後に妖精の超能力で視力を戻させ、恋人同士を元のさやに納めるといった人間へのかかわり方は、すでにチョーサーが「商人の話」で書いており、シェイクスピアがこれを知っていたであろうと推定される。しかしシェイクスピアの妖精王と王妃は、同じく「影の国の王と女王」であっても、古典的貴族的ではなく、インドの取り換え児をめぐり、「高慢ちきのティタニア」「嫉妬(やっかみ)やのオベロン」「あさはかな女め」といった言葉を投げ合う庶民的な間柄の王と王妃である。またこの妖精たちは「スパイスの薫るインド」の高原からアセンズの森に帰ってくるのであるが、エリザベス朝の人々にとっていくつもの海を越えたインドのスパイスは高価で入手し難く、インドの国は謎めいた神秘の国エル・ドラードであった。エキゾティシズムと憧憬のヴェールの彼方から妖精王がやって来たという設定は、神秘の雰囲気を妖精たちの回りに漂わせるのに効果的であったのである。帰って来たのはシーシアスとヒポリタの婚礼を祝い新床を祝福するためで、妖精たちが結びの神、生産を司る神としての属性があったこと、さらには民間伝承で土地の神(ディ・テレーニ)、豊鏡の神として信じられていたこともシェイクスピアは知っていて、これをオベロンとティタニアの属性に用い、二人のけんかで季節が狂い、川は氾濫、麦は腐るという「天候異変」として描いたとみられる。
 オベロンは自在に魔術を使い、他のものに化けたり姿を隠したりもできるのだが、決して全知全能といった性格の、例えばアーサー王伝説のマーリンのような魔法使いではなく、非常に身勝手で我健な、人間らしいというよりは人間の資質のいくつかをわざと拡大して戯画化したような妖精である。どことなく子供っぽい印象をあたえるのもそのためで、芯から喜劇の舞台にふさわしい人物、フォルスタッフの妖精版といった性格と言うこともできるし、子供っぽさはこの作品の妖精を当時子役が演じたのではないかという推定にもつながる。とすればそれもまた、人間の世界とは別の妖精界の夢幻性を強調するシェイクスピアの技術であったのだろう。ともあれこの当時まで口から口へと伝えられ、親しいながらも神秘的ヴェールの彼方にあったフェアリーというものをシェイクスピアは人間の世界へ積極的に連れ込み、一つの非常に具体的な骨組みを作ったうえで、コミカルな筆で肉付けし、人間をからみ合わせて舞台に乗せたわけである。シェイクスピアが創り上げたオベロンの映像は当時の人たちに強い印象を与え、妖精王としての名称を確立させ、これ以後、劇作家、詩人たちはこの名を固有名詞として用いるようにな。、例えばマイケル・ドレイトンなどは妖精女王の名は変えても、妖精王はオベロンという名で描いている。


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