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妖精の系譜 №19 [文芸美術の森]

世紀末の画家ビアズリーが描いたアーサー王の世界

       妖精美術館館長  井村君江

 オープリー・ビアズリーは、バーン=ジョーンズの影響のもとから画家として出発し、モリスのケルムスコットの本から装飾技術を学んだ。彼の才能が認められるのは、一八九三年、二十歳の時に描いた『アーサー王の死』の全巻にわたる挿絵からであった。前年の秋のある日、フレデリック・エヴァンスの経営する本屋にやって来た出版社のジョン・デントが、トマス・マロリーの『アーサー王の死』に新しい挿絵をつけて出したい意向をもらした。その時運良くビアズリーがこの店に入って来たので、以前からビアズリーの画才に注目しその絵を店のウィンドウに飾っていたエヴァンスは、さっそくビアズリーを彼に紹介して話はまとまり、一年半の間に装丁及び挿絵を描くことになる。ビアズリーは美術学校も保険会社の勤めも辞めてナショナルギャラリーに通い、ポッティチエリやクリベリ、ポライウォーロらルネッサンスの画家たちの構図を研究したり、デューラー、マンテーニャから多くのヒントを得たり、ホイッスラーから人物描写を学んだりと、多面的な関心から中世のアーサー王の世界に迫っていった。また日本の木版画の対称的な構図や、明暗や線描を大胆にデザインに取り入れ、次第にバーン=ジョーンズの中世趣味の影響からも抜け出して、『アーサー王の死』の挿絵五百枚のうちに彼独自の怪奇的讃譜(グロテスク・ユーモア)ともいえる世界を描き出したのであった。
 ビアズリーが描いたこの挿絵は、アーサー王伝説の世界を描いたというより、アーサー王伝説に刺激されてビアズリーの世界を描いたともいえるほど、大胆な構図と人物のポーズ、動き、場面をみせている。その描かれている各絵画の主題はテニソンやダイスの道徳的なものとも、ラファエル前派の画家たちの官能的な美の世界とも異なって、背徳的ともいえる悪魔的(デモーニヤック)で病的(モービッド)な情趣を持った官能の罪の変形としての美の世界である。黒と白のモノクロームで、複合的な流線と幾何学的な線構成の枠の中に、木や花・葉の紋様がからみ合う画面は、新しいライン・ブロックの手法で光の作用を借りて形を焼きつけていくフォト・メカニカルな製版の方法をとっているため、正確で流窟な細かい線が、金銀線細工(フィリグリー)のような美しさを出している。しかし、細密画のように描き込まれた木の葉の茂みや下草や花が、中世の森の暗さとなって、木蔭の冷たさや沼の湿気も感じさせ、湖の貴婦人たちやマーリンが立ち現われてくるのにふさわしい雰囲気を漂わせている。
 この書の最初の貢の扉が円型の画面に入った坐るマーリン像であり、さらに第一巻第三章の挿絵も「マーリンは子供のアーサーを育てるために連れて行く」のマーリンで、また同じ巻の十九章も超自然的なものであり、「アーサー王の見た探究のけだもの」と題し、奇怪なドラゴンの変形のような怪物が、線や円型で様式化されて描かれて、牧神(パン)が笛をかかげて逃げて行くという画面である。また次も「湖の精がアーサー王に剣エクスキャリバーについて話しているところ」で、そばに細く鋭いあごのマーリンがターバンを巻き僧衣をまとってたたずみ、この他「マーリンとヴィヴィアン」「モルガン・ル・フエがトリストラム卿に盾を与えること」「ランスロット卿と魔女」「モルガン・ル・フエが魔法のマントをアーサー王に与えること」というように、ビアズリーは好んで闇の深層から掘り起こしたような魔術の世界とそこに住むものたちを描いている。
 また騎士たちも、男装の麗人と思えるほどほっそりした体つきの美少年で、ある者は鎧をまとい、ある者は裸身であるが、第九巻第三十二章の章頭飾りのデザインに描かれている、波間に薔薇と剣を手にして立つ騎士の胸は女性の乳房を持っている。このほか牧神や薔薇の精なども胸のふくらみを持ちまたファロスを持つというように、両性具有的(アンドロギュロス)である。それらの人物が錯綜する蔓草や下草、薔薇の枝と微妙にからみ合い、性のオブセッションを凝固させたような表象図柄と相まって不可思議な雰囲気をかもし出している。華やかさと暗さ、稚拙さと神秘さ、明確さと曖昧さといった両義的(アンヴィバレンス)な要素が混り合って、幻怪ともいえる他界消息を伝えている。しかしそれは湖の精よりも鋭角的なマーリンにふさわしい悪魔的(デモーニヤック)な情調であるといえよう。

ビアズリー.jpg
オーブリー・ビアズリー
マーリン.jpg
ビアズリー画「マーリン」


『妖精の系譜』 新書館


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