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妖精の系譜 №2 [文芸美術の森]

妖精に出会った人々の記録 1

        妖精美術館館長  井村君江

 ジラルダス・ド・バリ、一般にジラルダス・キャンプレンシスの名で知られるペンブルックシャー生まれの助祭長が、『ウェールズ旅行記』(一巻八章)の中に書きとめた挿話が、妖精の国や妖精の性質を記したもっとも古い文献の一つである。ラテン語からR・C・ホアが英訳したものを、トマス・キートリーが『妖精神話集』(一八二八)の中に収録しているが、それは『エリドルス(エリダー)と黄金の球』という名で知られており、エリドルスという十二歳の少年が妖精の国に行って帰ってきた話である。エリドルスは僧侶であり、のちに聖デヴィッドの司教となった人で、実際に自分の身に起こった事件として語った経験談を、キャンプレンシスが書きとめたことになっている。
 その話の筋をまとめてみると、エリドルスはその頃学問をしていたが、教師の鞭が恐ろしいので家出をして、二日の間川辺の洞穴に隠れていた。すると二人の小人が「わしらと一緒に来れば、気晴しや楽しみがいっぱいある国へ連れていってやろう」と言うので、そのあとへついて行った。地下へは暗い小道を通るが、やがて川、牧場、森、平野のある美しい国に着く。太陽の光はなく、にぷい光に包まれ、夜は暗闇となる。
 「その国には王がいて、人々は小さく、みな金髪が長く肩まで垂れており、グレイハウンド犬位の馬に乗っていた」とあり、妖精が金髪を好む、あるいは金髪をしている(妖精の別名は金髪一族)という特色がすでにうかがえる。また性質は、嘘はつかず、真理を愛し、人間の野心や不誠実を非難すると書かれてある。動物や魚の肉は食べず、「サフランを混ぜた牛乳」が常食となっている。
 エリドルスはその妖精の国から人間界へ、しばしば戻ることができた。妖精の国や小人たちのこと、地下には黄金がたくさんあることを母に話したところ、少し持ってきてはしいと言われる。エリドルスは妖精王の息子と遊んでいた黄金の球をこっそり盗むと、母の家まで一目散に逃げ帰ろうとしたが、あとを追われ入口まで来て敷居につまずいて倒れ、球を落としてしまう。小人はそれを奪い返し、エリドルスにつばを吐きかけ笑いながら行ってしまった。それから一年近くも道を探したが、再び妖精界へ行くことはできなかったというのである。盗みをした身を恥じ、母のことを恨む複雑な気持が消えると、エリドルスは再び学問に精を出したという。そして妖精に対して悪をする人間には、妖精界の道は閉ざされるという教訓めいた道徳的結末がついている。
 ここでは妖精界と人間界が容易に地下の道を通って行けるようになっており、薄明りの照る美しい野原というのも、後年の妖精の国の特色をすでにみせているが、月日が経過する速度の差はここにはまだない。興味深いことは、エリドルスが妖精語をよく覚えていて、それがギリシャ語に似ていたというのである。例えば「塩を持ってこい」というのはHalgein udomum)で、ギリシャ語で塩は(××××)であり、古代ウェールズ語では〈Halen〉である。キャンプレンシスによれば、これはイギリスの先住民であったブリトン人が、トロイ滅亡後もギリシャに留まっていたため、二つの言語には類似がみられるのだということである。
 (2)のニューバラのウィリアムが記し、コギシァルのラルフも書いている「緑の子供」発見の話は、十二世紀の出来事として有名である。ラルフはこの他、ダッグワージー(現ダッグワース)城に出没する「モーキン」という小妖精と「男人魚」についての話も記している。これらはラテン語で書かれているが、当時の事件の一つとして、ロンドンの記録保管所のロール(巻き紙状になっているためこう呼ばれる)六八番に記されており、当時の人々が事実として信じていたことがわかる。
 この「緑の子供」は、サフォークのウルフピットで見つかった肌の色が緑色をした姉と弟の子供で、洞の入口に倒れていたところを連れてこられるが、豆しか食べず、弟の方はすぐに死んでしまう。姉の方は次第に元気になり、人間の食物に馴れてくると肌の緑色も槌せてきて、人間の言葉もわかるようになり、妖精界のことを話し始めた。それによると、向こうの国では、人も物もみな緑色で、太陽の光はなく、いつも薄明りに包まれているという。姉弟は家畜の群れを追っているうち、美しい鐘の音につられて洞穴の中に迷い込み、こちらの出口についてしまい、太陽の光の強さに気を失って倒れたところを捕まったということであった。やはりここでも、二つの世界は暗い地下道でつながっていることになっている。
 「ケルト圏では緑色は死の色であり、豆は古くから死者の食物である」と、キャサリン・プリッグズは『妖精事典』で解説を加えている。妖精と死者との結びつきを示す話のようであり、とすれば姉は甦った死者なのであろうか。のちになると妖精の服装は「緑の上着に赤帽子」ということになり、肌まで緑色に描かれた妖精像もある。緑は草や木の葉の色で、いわば保護色であり、またバッタやイモ虫など昆虫の色との連想からも緑になっているのかも知れない。ニューバラのウィリアムは、調査が進むにつれて、自分はこの「緑の子供事件」 の真実性を認めるようになった、と書いている。姉の方が、自分の国を「聖マーチンの国」 と呼んで、みなキリスト教徒であると言っていたというのであるが、ここにいたると異教の神の末裔である妖精たちを、キリスト教に改宗させたのは誰であろうか、といぶかしく思われてくる。
 「モーキン」というのはサフォークのダツグワージー城に出没する妖精で、普通は姿を見せず、一歳の子供ぐらいの声で話す。もともとは人間の子供で、母親が仕事をしてるときに麦畑に置いておかれたので妖精にさらわれたとあり、すでに妖精の人間誘拐が描かれている。城の騎士一家はモーキンの出没に初めは驚くが、次第に馴れる。仲良くなった女中にいたっては、彼が小さな子供で白いチュニックを着ているのを見たという。食べ物を出しておいてやると、いつのまにかそれが消えている。モーキンは七年間妖精界にいるが、あとの七年間は人間界に戻りたいので、人間の食物が必要だということである。このモーキンは、「取り換え児(チェンジリング)」にされた人間の子供であり、のちになると妖精の国の食物を食べると人間界に戻れなくなるということがいわれるが、ここでは逆に人間界に戻るには人間の食物が必要ということが書かれている。食物は人の生存に関わる重要なものなので、この世とあの世の生存を決める要因になっているようである。

『妖精の系譜』 新書館


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