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ケルトの妖精 №48 [文芸美術の森]

あとがき

        妖精美術館館長  井村君江

 本書はイギリス各地方に伝わる伝承を、柳田国男の『遠野物語』のように「昔ばなし風な語り口」で書き下ろしたものである。アイルランド、コーンウォール、イングランド、スコットランド、ウェールズ各地方に特有の風土(ある土地の気候、気象、地味、地形、景観の総称 - 和辻哲郎¶風土』 による) からは、特色ある容姿、服装、性質を備えたグロテスクで恐ろしい、または優美なそしてコミカルな妖精たちが生まれ、昔から現代に至るまでの人々の間に息づいている。その中から代表的な妖精の、面白い話を選んでみた。妖精はケルトの神々と密接に関連し、またアーサー王伝説との結びつきも深いので、それらの中からも幾つか選んだ。古代では恐ろしい存在とされ、触れないほうが賢明と避けられてきた妖精を今日見るような人間に親しい小さく美しい存在という映像に定めたのはシェイクスピアである。彼の劇作晶『夏の夜の夢』 の中から代表敵な妖精も取り上げておいた。
 こうして見ると、「民間伝承」「神話」「伝説」「文学」の領域にわたった、各種の妖精が登場することになった。以前『ケルト・ファンタジィー 英雄の恋』の挿絵を描いた画家の天野青草氏が、レプラホーンやピクシーなど独特の妖精を視覚化してくれた。創造の筆を自在に飛翔させる天野氏の筆敵は、繊細で天衣無縫で、この世に執着しない妖精に相応しく、物語の世界の雰囲気をよく醸し出してくれている。
 コーンウォールでは、ピクシーやノッカーたちと人間が織り成す不思議な話を集めたパンフレットが毎年新たに出されている。この夏もコーンウォールから帰った私の鞄のなかには『コーンウォール昔話』(D・ロー)『コーンウォール古典逸話集』(P・ホワイト)『ピクシー物語』(F・コッカートン)などが入っている。コーンウォールでは自分の住んでいる土地に対する愛着、いわば郷土愛は驚くほど強く、このような本を書いたり、郷土の文化に貢献のあった人々は、毎年九月の第一土曜日に行われるコーンウォールのケルト祭「ゴーゼス・ケルノー」でバード(吟遊詩人)に選ばれ表彰される。今年はリスカードの町で祭典は行われ、麦の穂を持った豊作の女王と十二人の妖精たちの踊りや、アーサー王のエクスキャリバーを捧げ持った人、それに続く青い衣の三百人のバードたちがハープに合わせて歌う賛歌、そして祈りの儀式などが盛大であった。まさにアーサー王物語、妖精伝承、ケルト神話の世界を目の当たりにする思いがあった。こうした人々によって妖精たちは命を吹き込まれ、現代に生かされているのである。
 九月一日の『デイリー・テレグラフ』誌を開けると、シシリー・パーカーの可愛い花の妖精画と、「コティングリー・フェアリー事件」 の少女エルジー・ライトを囲む妖精たちの写真(当時真贋を巡って話題になった)が掲載され、それに挟まれるようにスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを描いた『プレイプ・ハート』を監督、主演したメル・ギブソンの写真が目に入った。
「妖精は幻想の飛行のために羽を広げた」という題の下に、彼が今、「コティングリー・フェアリー事件」の映画をハリウッドで制作中(メル・ギブソンはアーサー・コナン・ドイル役)という記事を中心に、「国立妖精愛好会」(NFAS)がイギリスで昨年夏に結成され、すでに六百人のメンバーを数えること、オーストラリアのメルボルンに三百に近い妖精グッズ店ができていること、これらにはロンドンのおもちゃのデパート「ハムレイズ」に一九九四年、五年と展示された妖精人形のクリスマス・ディスプレイの刺激が大きかったことなどが書かれていた。この記事の中では残念ながら日本の事情には触れられていない。しかしわが国では「フェアリー協会」なら四年前の一九九二年にすでにできているし、フェアリー・グッズの店などではなく、芸術性の高いヴィクトリア妖精絵画を主体にした「妖精美術館」が一九九二年には開館している(福島県金山町、井村君江館長)。「ハムレイズ」のウィンドウの十三体の妖精人形たちや花々は、いま全部東京・日野のわが家に来ている。
 一九九七年にはロンドンのロイヤル・アカデミー、スコットランドのナショナル・ギャラリー、アメリカのアイオワ大学美術館で、妖精絵画展が予定されているが、その翌年の一九九八年には、わが国の東京、大阪、名古屋で1妖精の世界展」(朝日新聞主催、大丸美術館)が行われることになっている。まさに二〇世紀世紀末の現在、洋の東西を問わず、妖精は羽を広げて人々の間に幻想と夢をもたらしているといえよう。
 妖精は森や木や草や花、湖や丘に住む自然の精霊である。都会のメカニカルな文明に渇きを覚え、自然の潤いを求める人々の心に、そうした自然の息吹を妖精が運んでいるのであろう。ビルが立ち並び車が走る物質文明は、妖精たちを二度追いやってしまったが、物質文明の限界を知ってしまった人々は今、目に見えないもの、心を尊重する方向へ向かっているように見える。木々が美しく茂り、花が咲き、川が澄めば、妖精たちは再び帰ってくるであろうが、目に見えないもう三の世界を心の中に広げれば、それは心の豊かさ、心の余裕に通じていく。
 妖精の翼にのれば、限りあるこの現実の時間も空間も自在に越えられる。創造力は超自然を自在に飛翔できるからである。妖精は都会と地方、東と西、古代と現代、現実と超自然、物質と心、こうした二つの世界の境界を自在に飛び回り、未知の消息をもたらしてくれる。古代の人たちがもっていたような素朴なこころ、澄んだ感性、おおらかな気持ちが妖精とつきあうには大切であろうし、妖精の発信する消息を受け止めるアンテナを出していることも大切であろう。妖精は信じる人の心を糧に生きるものなのである。

『ケルトの妖精』 あんず堂


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