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ケルトの妖精 №31 [文芸美術の森]

 ドゥアガー

            妖精美術館館長  井村君江

 旅人はイングランド北部のロスベリーに向かっていた。途中にあるサイモンサイド峡谷地帯は、切り立った崖が続くので危険な道だったが、旅人は歩いてそこを横断していくつもりだった。
 ところが、はやくも夕闇が訪れ、旅人はいつのまにか道に迷ったことに気がついた。このまま歩きつづければ谷底に落ちてしまうのではないかと心配になるほど、闇はどんどん深くなる。しかし、道ばたに座りこんでしまったら、冬の冷たい風にさらされ凍え死ぬのもたしかだった。
 旅人は前に進むしかなかった。闇につつまれた峡谷の道を、なんとか暖かく過ごせる場所に行き着かないかと願いながら、心細くそろそろと手探りで進んでいた。
 と、前方にかすかに灯りが見えた。旅人は胸をなでおろし、注意深くその灯りのほうに向かった。
  近づいてみると、その灯りは粗末な石造りの小屋のなかでいぶっている焚き火のものだとわかった。それは羊が出産するときに使った小屋のようだった。
 遠慮している場合ではなかったので、旅人は勝手に入りこんだ。小屋のなかにはだれもいなかったが、かすかな灯りを頼りに見まわすと、この小屋がまるで洞穴のようなつくりだとわかった。
 まんなかにちょうど腰かけのような大きな石がふたつ、焚き火をはさんでおいてあった。
その片方の石に腰をおろしてみると、左側には焚きつけが山積みにされていて、右側には二本の太い丸太がおいてあった。旅人は焚きつけを何本か火に入れて勢いを大きくし、すっかりかじかんでいた手と身体を暖めた。
 と、小屋の扉がギギッと開いて、奇妙な姿をしたものが入ってきた。
 ドゥアガーだ、と旅人は思った。旅人の膝の高さくらいしか背丈がなかったが、恰幅がよく、たくましい身体つきをしていた。
 ドゥアガーは、小芋の毛皮の上着とモグラの毛皮でつくったズボンと靴を身につけ、雉の羽をさしたみどり苔の帽子を被っていた。旅人に気がついても、なにも言わずににらみつけただけで、もうひとつの石に腰をおろした。旅人は口を開かなかった。ここの主人がドゥアガーであり、ドゥアガーがどんなにひどく人間を嫌っているかを知っていたからだ。
 ふたりは向き合って座ったまま、黙りこんでいた。
 やがてふたりのあいだの焚き火もだんだん小さくなり、小屋のなかが寒くなってきた。旅人はいたたまれずに、焚きつけを何本か取りあげて、火にくべた。火は大きくなって旅人をほっとさせた。ドゥアガーは、恐ろしい顔で旅人を見やったが、やっぱりなにも言わなかった。
 しばらくすると、ドゥアガーは旅人に向かって丸太を一本、火にくべろ、というようなしぐさをした。旅人はそのしぐさを見ていたが、なにもしなかった。
 やがてドゥアガーは、自分で丸太に手を伸ばすと一本を取りあげた。丸太はドゥアガーの身長の倍も長さがあり、身体より太いくらいだったが、ドゥアガーはそれを軽々と持ちあげて、膝に当ててふたつに折った。それから火のなかに投げいれた。火はひととき燃えさかったが、すぐにまた小さくなってしまった。
 ドゥアガーは旅人を見て、「自分と同じように丸太を火にくべろ。どうしておまえはそれをしないんだ」というような、いらだった動作をした。
 しかし旅人は、それを見てもなにもしなかった。なにか罠がありそうな気がしてしかたがなかったのだ。
 ようやく東の空が白みはじめ、小屋の隙間からかすかな光が射しこんできた。
 と、遠くのほうで雄鶏の鳴く声がしたかと思うと、ドゥアガーの姿もふたりのいた小屋も、跡形もなく消えてしまった。焚き火もなくなってしまった。
 旅人の腰かけていた石と、旅人だけが残った。
 明るくなってきた周辺を見わたした旅人は、自分が、峡谷を見おろす大きな岩山の突端から突き出た石に座っていたのに気づいた。もし、丸太を取ろうと少しでも動いていたら、岩から足を踏みはずして、谷底へまっ逆さまに落ちていたにちがいなかった。

◆ ドゥアガーはイングランド北部にいるドワーフで、人間に対していつも敵意を抱き、殺そうと狙っている暗く意地の悪い妖精である。


『ケルトの妖精』 あんず堂


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