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ケルトの妖精 №30 [文芸美術の森]

 プラウニー

           妖精美術館館長  井村君江

 イングランドのリンカンシャーにある一軒の農家にプラウニーが住みついていた。この家の老農夫は、プラウニーが夜のあいだに家事を手伝い、毎日少しの食べ物をほしがるだけで、よろこんで働いてくれることを知っていた。
 穀物を納屋に積んでおけば、プラウニーがゴリゴリ挽いて粉にしてくれたし、辛子も粉にしてくれた。台所もきれいにかたづけて、はんばな仕事でも手を抜いたりすることがなかった。
 しかし、プラウニーには気むずかしいところがあって、働いているところを人に見られたり、自分の仕事を人にとやかく言われたりするのを許さなかった。この決まりをきちんと守らないとプラウニーは怒ってどこかに行ってしまうのだった。
 スコットランドのロージアン近くの村クランショーズでも、かつて村の農家に住みついて夜中に現れては、やり残した仕事をかたづけてくれたり、羊や鶏の番をしたり、作物の刈り取りや、麦打ちをせっせと手伝ってくれたりするプラウニーがいた。ところが農家の納屋にいた使用人が、「今年の麦はよお、刈り方もよかねえし、積み方もよかねえ」と、つい言ってしまった。するとその晩、あたりですごい音がして、こうつぶやく声が聞こえた。「刈り方が悪いんだと。積み方が悪いんだと。そんなら二度と刈ってやらん。鳥が岩だらけの野っばらにばらまくから、おまえら苦労して刈りなおせ」
 麦はばらばらにばらまかれ、プラウニーは姿を消してしまったという。
 そんな話を知っていた老農夫は、プラウニーが住みついていることも仕事をしてくれていることも、まるで気にならないふうに装っていた。名前を呼んだり、プラウニーの噂をしたりすることもなかった。
 仕事へのお礼の食べ物は、自分たちのつつましい夜の食事がすんだあと、大麦のパンに蜂蜜をつけ、茶碗一杯のミルクかクリームを添えて、窓辺においた。
 この農家のプラウニーには、ひとつだけほかのプラウニーとはちがうところがあった。それは、プラウニーは裸も同然のぽろぽろのシャツ一枚で働くのがふつうで、仕事のお礼に衣服を贈ってしまうとよろこんで踊りながら消えてしまうといわれていたのだが、この農家に住みついたプラウニーは、毎年正月にしなやかな麻のシャツを贈り物としてもらいつづけても、消えてしまったりはしなかったのだ。
 老農夫は、この贈り物をブラウニーがよろこんで受け取ってくれているのか、ちゃんと着てくれているのかまるでわからなかったけれど、ずっとその習慣を守っていた。
 こうしてプラウニーとのよい関係をつづけていたのだが、ついに老農大も、寄る年波には勝てずに死んでしまった。
 農家は息子の代に変わったが、この息子は性根が曲がっていたうえに、けちだったため、
プラウニーに上等の麻のシャツを贈ることが惜しくなってしまった。それで、代わりに縫い目の粗いズック地のシャツを贈り物としておくことにした。
 これを見たプラウニ1は、怒り狂って家じゅうに響きわたる声でわめいた。

 「ごわごわ、ごわごわ、粗い布
  挽くも、つぶすも、もうやめた
  麻の衣服がもらえれば
  いつまでだって、世話したさ
  運がつきれば、不幸が残る
  おいらは、遠くに出ていくさ」

 そのまま、プラウニーはその農家を出ていってしまい、二度と戻らなかったという。

◆プラウニーはイギリスではもっとも知られている妖精で、働き者だがなかなか扱いにくい面もある。人家に現れては麦打ちの手伝いや台所のかたづけをする「家事好き妖精」だが、散らかっているものをかたづけ、かたづいているものを散らかしたりする天の邪鬼のところがある。
 服をもらうと消えてしまうのは、人間から報酬を受けるまで働く運命だからだとか、逆に束縛されるのを嫌って逃げだすからだとか、いや妖精の仲間に衣服を見せに出かけていってしまうのだとかいわれ、プラウニーの気むずかしい性格は、なかなか人間には分析できない。
 場所が変わると、プラウニーの呼び名も変わって、ウェールズではプーカ、スコットランド高地地方ではボーダハ、マン島ではフォノゼリー、アイルランドでもプーカとなる。コーンウォールのピタシーも性質は似ている。
 プラウニーの背丈は九十センチぐらい、全身は茶色で髪はくしゃくしゃ、ぽろぽろの茶色い服を着ている。仕事のお礼に食べ物を出しておくのは、お稲荷さんの狐に油揚げを供える日本の風習に近い。
 いまでもイギリスではひと口で食べられる小さな焼きパン(バノック)を「プラウニーが喜ぶごちそうね」と言ったりする。


『ケルト妖精』 あんず堂


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