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立川陸軍飛行場と日本・アジア №181 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 軍都立川、秋を謳歌

                近現代史研究家  楢崎茂彌

 「読売新聞」(1933.10.13)の三多摩面である「三多摩読売」は“演習シーズンを迎へ 軍都立川秋を謳歌”と見出しをつけて、第五連隊の演習参加予定を紹介しています。もう“空の都”という夢がある表現から“軍181-1.jpg都”に変わったのですね。
 10月10日からは、「昭和八年特別航空兵演習」が始まります。この演習の目的を陸軍航空本部は次のように説明しています“一.演習ノ目的 各部隊ノ教育ノ現況ト今事変ノ経験トニ鑑ミ、集中飛行、空中戦闘、射撃等特ニ向上錬磨ノ要アル重要科目ヲ演練シ、以テ飛行能力ノ向上進歩ヲ期スルニ在リ”(「特別航空兵演習実施の件」1933.4.5)。満州事変の航空戦では日本軍が一方的に勝利しているので、この演習は次の段階に備えるものだということが分かります。演習地については“四.演習地域 集中飛行ハ概ネ大刀洗、立川間ノ地域トシ明野陸軍飛行学校ニ集中セシム。集中後ニ於ケル各種演習ハ明野陸軍飛行学校ヲ基地トシテ其付近ニ於イテ実施ス”と記されています。
 飛行第五連隊からは偵察隊二中隊(八八式偵察機8、内予備機2)、戦闘隊二中隊(甲式四型戦闘機8 内予備2)の16機が参加しました。新たに編成された戦闘隊の初演習です。10月10日午前4時、搭乗員等は結集し飛行コースの天気通報が“飛行適”との情報181-2.jpgが入ると、午前5時過ぎ甲式四型戦闘機3機が三重県にある明野陸軍飛行学校めざして飛び立ちました。「三多摩読売」(193.10.11)は“「飛行適」の快報来り 立川機勇躍出発 特別航空演習火蓋切る”と勇ましく報道しています。
 演習内容は、集中飛行、写真捜索、空地連絡(無線通信)、空中戦闘、空中射撃、制限地離着陸でした。演習のまとめに当たる「昭和八年特別航空兵演習記事」は、「講評及び細部の所見」の“写真捜索”の部分で、偵察隊としては歴史がある飛行第五連隊について次のように書いています。“六.飛行第五連隊以外ノ連隊ガ自動航空写真機ノ装備ニ方(アタ)リ発電機ノ装備セサレシハ不可ナリ”航空写真機に使う蓄電池がバッテリー切れになることを想定した第五連隊は流石です。しかし、“空地連絡”の部分には“第五連隊ノ通信長ガ集合ニ方リ時刻ニ遅延セルハ士気ノ緊張ヲ欠ク者ト認ム”という厳しい評価が記されています。帰隊した通信長はどうなったのでしょうか。
181-3.jpg 最終日には空中分列飛行が行なわれました。演習に参加した81機が、長さ1500m、幅400m、高度差200mで図のような隊形を組んで明野陸軍飛行学校から三重県上空を飛行します。それこそ空を圧する飛行編隊だったに違いありません。連載NO.53で紹介した、昭和天皇の即位を祝う大観兵式に参加した陸軍機は153機でしたから、それに比べれば規模は小さいのですが、実際に戦争に参加している飛行連隊の編隊飛行は威圧感があったと思います。
 
エンジンは響き渡り
      軍靴高鳴る
 「三多摩読売」は“軍都立川、秋を謳歌”の見出しに、“エンジンは響きわたり 軍靴高鳴る”という、戦争を煽る勇ましい小見出しをつけています。
 御国飛行学校の格納庫は10月21日に陸軍に寄贈されます。こうして民間飛行機は姿を消し、軍靴高鳴る立川町になって行くのか‥。


≪夏休みのお知らせ≫ 
  今年も「立川の戦争 映像とともに考える」と題したビデオを制作し上映します。上映予定は次の通りです。
PART1「軍事教練・勤労動員 立川の中学生と戦争」7月13日(土)14:00     立川市高松学習館
PART2「銃後の護り・立川の女性たちの戦争」   8月3日(土) 14:00        立川市柴崎学習館
PART3「立川空襲の記録 錦町・羽衣町・柴崎町・富士見町」8月31日(土)14:00 錦学習館
時間が許せば、ご覧になって下さい。
 これまでの取材に加え、今年に入って17人の戦争体験者に取材しました。これから、ようやく編集に入ります。そこで少し早いのですが夏休みに入らせて下さい。9月14日・15日に行なわれる「立川名画座通り映画祭」にも出品するので、連載復帰は10月上期になります。

写真1番目  愛機の整備        「読売新聞・三多摩読売」 1933.10.8
写真2番目  出発直前の操縦士達 「読売新聞・三多摩読売」 1933.10.11
図   空中分列隊形要図   「昭和八年 特別航空兵演習記事」陸軍航空本部


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