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立川陸軍飛行場と日本・アジア №176 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 朴敬元さんが操縦する「あおつばめ」墜落

                       近現代史研究家  楢崎茂彌
 
 思いははるか故郷の空
176-1.jpg 立川にあった日本飛行学校で学び二等飛行操縦士となった朴敬元さんが、イギリスから飛んできたブルース夫人のコメントにカチンときたことは、連載NO.106「朴敬元(パク・ギョンウォン)さんがんばれ!」で紹介した通りです。朴さんは、女流飛行家を認めようとしない日本社会に失望して次のように書いています“日本に於ける女流飛行家はどうしてこう発展せぬかと云うことは、私が申すまでもなく、すでに一般社会に知れ渡っていることと思います。それは第一に費用の問題、第二は職がないことです。……私は言います。職業若しくは社会の援助を彼女に与えたならば、欧米諸国の女性飛行家に決して劣らないであろう”(「わが女流飛行家は何故伸展しないか!」故二等飛行操縦士朴敬元嬢追悼録 相羽有編 日本飛行学校出版部 1933年刊)しかも、逓信省航空機乗員規則によって、男しか一等飛行士になることが出来ません。朴さんは、連載NO.141で紹介したように、出来れば欧州の空に飛んでいきたいと思っています。でもその前に、法政大学航空研究会出身の尹昌鉉(ユンチャンヒョク)も行なった郷土訪問飛行を成功させたいのですが、悔しいことに男と違ってなかなか故郷の後援も盛り上がりません。
176-2.jpg ところが思わぬ筋から郷土訪問飛行の話が飛び込みます。2008年に日韓首脳会談を記念して建設された韓国庭園の一角に、朴敬元さんの記念碑が建てられました。同じ碑が“朴敬元女性飛行士遭難の地入り口”の表示の脇に建っています。碑文は次のように始まっています。
      “思いははるか故郷の空
 朴敬元飛行士は1901年大韓民国慶尚北道大邱府に生まれました。1925年に日本飛行学校に入学して飛行機の操縦を学び大韓民国初の女性飛行士として二等操縦士の免許を取ると、兼ねてからの希望であった故郷への訪問飛行を計画し1933年8月7日、その日を迎えることになりました。
 碑文は“郷土訪問飛行”と書いていますが、彼女には陸軍大臣の次のようなメッセージが託されていました。
 “朴敬元嬢の日満連絡飛行の機に際し謹而閣下並麾下将兵の日夜の労苦に対し深甚なる謝意と満腔の敬意とを表す。 
 今回朴嬢が在満将兵の慰問を兼ね、内鮮人と満州人との融和親善を図る為、日本最初の女性として、敢然とし176-3.jpgて此壮挙を試むるに至りたるは、独り日本女性の為万丈の意気を昂揚したるに止まらず、また以て帝国民間航空の発展促進に寄与する所鮮少ならざるべし。
 幸に関東軍其他各方面の後援に依り所期の目的を貫徹ならしめんことを。 
 一言以て使辞に代ふ。
 昭和八年八月    
         陸軍大臣 荒木貞夫
 関東軍参謀長  菱刈隆閣下“
 このことで分かるように、この飛行は郷土訪問飛行ではなく、関東軍、朝鮮総督府、帝国飛行協会などが後援する“日満親善・皇軍慰問日満連絡飛行”だったのです。朝鮮人で女性である朴敬元さんは、このような機会がなければ郷土訪問飛行が出来なかったのですね。飛行行程は大阪で一泊、大刀洗で一泊、朝鮮海峡を越え朴さんの故郷の大邱(テグ)上空を飛びソウルで一泊、奉天で一泊して目的地新京(現・長春)に到着する予定です。
 
『あおつばめ』墜落、日満親善・皇軍慰問日満連絡飛行は失敗
 昭和8(1933)年8月7日午前10時37分、早朝からの雨が上がった羽田の東京飛行場から、朴さんが操縦する陸軍払い下げのサムルソン「あおつばめ」が大阪めざして飛び立ちました。その時の様子を、日本飛行学校の相羽有校長は次のように回想しています。  
 “箱根が雨だ!少し待とうかという人もあったが。しかし防空演習や何かで陸海軍機や民間機がジャンジャン飛んでいるので群集心理というものであろうか、天候を案ずるということよりも、一まず飛び出してみて箱根が雨で越えられぬときは立川に引き返すのがよい、また下田港を迂回してもよいということになったと記憶している。”
 「あおつばめ」は、予定の午後2時になっても3時になっても、人々が待ち受ける大阪飛行場に到着しません。湯河原や熱海では海岸で爆音を聞いたとの情報がありましたが、機影は確認されていません。御前崎測候所からは午前11時50分頃海上に機影を確認したとの情報も入ります。翌日の「東京朝日新聞」は“駿河湾上で遭難か 女鳥人の朴嬢 出発後消息絶つ”と報じています。
176-4.jpg 翌日の早朝、朴さんと「あおつばめ」は、伊豆半島の多賀村で発見されます。多賀村村会議長松本隆法氏は当日の様子を次のように書いています。“翌八日早天未だ明けやらぬ頃、前日の濃霧は自然に旭と共に晴れましたが、玄ケ嶽の一角に当たり、白き「テント」らしきものが遙か彼方に懸かり、村人をして異様の感を起こさしめ、疑いの眸を集め或いは天の羽衣かと望遠鏡により様々な判断憶説の伝わりました折り、ラジオの放送と共に新聞の朝刊を手にして、始めて朴嬢の搭乗飛行機行方不明の報を見176-5.jpgて、愈々墜落したものかと断定しましたから、各所に電話交換始めて確実なりと信じました。”(「故二等飛行操縦士朴敬元嬢追悼録」)。そして村長と村当局は警察署・消防・在郷軍人会・青年団に連絡し、全員を集めると、灼熱のなか道なき急峻な登りを2里も離れた玄ケ嶽の遭難現場に向かいました。松本村会議長は“村長始め各団員は、同胞相愛の熱情と、朴嬢の誠意発露と相俟って、流汗指揮をなし、全員又献身的に活動してくれました。”と感謝の意を記しています。
 午後には相羽校長も現地に到着、遺骸を担架に移して下山、読経と焼香を済ますと火葬場に送り荼毘に付しました。
176-6.jpg 相羽校長は次のように回想しています。
 “今,回顧すれば、僕が中止を申出たらよかったのであった。なんと申しても女性だ。それに一世一代とも云うべき晴れの舞台なのだ。箱根や伊豆の山に密雲があったら引き返せよと注意したところで、緊張し過ぎていた朴さんの心に如何ばかりの反響があったかは知れたものではない。
 ハイー、と心よく答えたものの心は新京へ、大邱に飛んでいるから、まったく効果なき注意に了ったのだ。想えば女性の心理を等閑に附した責任を感ずる次第である”(「故二等飛行操縦士朴敬元嬢追悼録」)。この自己責任論は相羽校長らしくありませんね。相羽校長が“ しかし防空演習や何かで陸海軍機や民間機がジャンジャン飛んでいるので群集心理というものであろうか、”と書いているとおり、8月9日からは関東防空大演習が始まります。朴さんの生涯を描いた『越えられなかった海峡』(時事通信社1994年刊)で著者の加納実紀代さんは、明後日に関東防空大演習を控えた関係者たちは、朴さんの出発を翌日に延期してほしくないと考えていたのではないかと、推察しています。
 連載には何度か出てきた、日本飛行学校の木暮主事の記憶によると、飛行機の整備などで忙しい出発前の8月4日早朝、朴さんが木暮主事を訪ねて、立川町で世話になった所にお礼参りに行きたいので案内してくれと言いました。木暮さんは、満州に行ってもすぐに帰ってくるのだから、暇乞いをすることはない、十分に休養をとって、帰ってきてからお礼参りをしたら良かろうと助言しますが、どうしてもというので、一緒に立川町の関係者を回ったと回想し“聞けば翌日には、航空時代社の須永様を案内者として東京方面の関係者に暇乞いに回ったとの事、今に思えば予感というものでしょうか”と書いています。
 
  碑文の締めくくり
 碑文は次のように締めくくられています。
176-7.jpg “翌8日、女史の遺体は地元多賀村の人々の手によって荼毘にふされ、翌年8月7日には、元多賀村村長西島弘氏が私費で墜落現場鳥人霊誌碑を建立し、そして1987年春には地元町内会の手で朴敬元嬢遭難慰霊碑が建立されました。地元の人々は夢半ばにして敗れた朴敬元女史の心安らかなることを願い、毎年墜落現場までの草刈りや慰霊碑保全を行うなど、大切に護持しています。
 国を超えたこの地道な活動は、今日の平和と友好を祈念する多くの人々の思いでもあり、親切と文化を標榜する熱海市にとりましても、おもてなしの心を育む原点でもあります。
 熱海市は朴敬元女史の墜落死と地元の人々の活動176-8.jpgを永く歴史に留め、これまでかかわってきた人々の友好平和のあかしとして、日韓首脳会談を記念して建設された韓国庭園の一角に祈念碑を建立するものです
 2008年8月28日 熱海市長 川口市雄“

 今回使った写真は、僕が2010年に現地を訪ねた時に撮ったものです。現地に向かう道もキチンと草が刈られ、整備されていました。日韓関係がぎくしゃくしている今日、地元の人々の活動は、とても示唆に富むものだと感じます。因みに、この時の日韓首脳とは森喜朗首相と金大中大統領でした。

写真1番目 「晴れの首途」      故二等飛行操縦士朴敬元嬢追悼禄
写真2番目  「朴敬元女性飛行士遭難の地入り口」表示 2010.8.30 筆者撮影
写真3番目  「朴敬元飛行士記念碑」(レプリカ)    2010.8.30 筆者撮影
写真4番目 「朴飛行士遭難地点」   東京朝日新聞 1933.8.9
写真5番目  「山中の表示」             2010.8.30 筆者撮影
写真6番目  「鳥人慰霊碑」             2010.8.30 筆者撮影
写真7番目  「朴敬元嬢遭難慰霊碑」(手前の石碑)  2010.8.30 筆者撮影
写真8番目  「草は刈られ整備された山道」      2010.8.30 筆者撮影
 

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