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徒然なるままに №40 [雑木林の四季]

やっと秋めいてきました

                                 エッセイスト  横山貞利

 九月も後半になり、やっと朝夕に秋の気配が感じられるようになった。今夏はあまりにも猛烈な暑熱で完璧にノックアウトされてしまった。一言で「温暖化の影響」と言ってしまう訳にもいかない。7月の「西日本豪雨」、更に狭い地域に集中的に猛烈な豪雨を降らせながら次々と移動して被害をもたらした。まるで熱帯のスコールのようだ。その上、8月末には台風20号が徳島に上陸後日本列島を横切り日本海に抜けた。そうこうしている裡に9月早々には台風21号が、台風20号と同じルートを通ってまたまた日本列島を横切って大変な被害をもたらした。丁度高潮とも重なり関西空港は水浸しになり、空港と本土を結ぶ唯一の連絡橋に航空燃料を下ろしたタンカーがぶつかり連絡橋が使用できなくなって約8000人が足止めになった。更に神戸のポートアイランドや六甲アイランドなどでも大きな被害をもたらされた。神戸に再上陸した台風21号は兵庫・京都の堺を北上して能登半島沖に出て北海道の西沖合で温帯低気圧になった。
 そうこうしているうちに、6日未明に北海道で直下型地震に見舞われた。「北海道胆振東部地震」である。震度7の厚真町を中心にして無数の山津波が襲って41人の犠牲者を出してしまった。新聞に掲載されている航空写真をみるとあちらこちらの山々に無数の地滑りが見られて一瞬寒気に襲われた。地滑りした山肌には白い土砂が多数見られたが、この厚真辺りは火山灰地であることを報道で知った。
 そう言えば、久保栄の名作戯曲「火山灰地」を想い出した。この戯曲「火山灰地」のテーマは地滑りでなく、北海道の火山灰農地で作付される植物について教授とその愛弟子の間で生じる葛藤が描かれている。わたしは、2005年に民芸による「火山灰地」を観た。北海道の農園で夕方になって作業を終えた女性たちがクワをかついで「都ぞ弥生の雲も紫に・・・」と北大・恵迪寮の寮歌を歌いながら帰って行くシーンにホッとした気分になったことを覚えている。それ程、教授と愛弟子の間で生じた研究者の良心の葛藤を噛みしめない訳にはいかなった。この劇を観た後の感動をいまも想い出す。この時の公演のパンフレットを覗き見ながらこの一文を書いた。もう、この頃には滝沢修や宇野重吉はおられなかった。

 それにしても、北海道電力は電力事業をどう考えているのだろうか。現代社会は電気なくして成立できなくなっていることを当事者である電力会社が一番よく知っているのではないか。発電の効率化を図るのは当然であるが、もっと住民のことも考慮すべきである。。

 さて、わたしは最近常に手元に置いている本がある。
 永井荷風「断腸亭日乗」である。この本は1987年に岩波文庫で上下二巻に分かれて出版されたものである。上下2冊には色栞が沢山貼られている。

 大正から昭和の戦後までを文士の目線でつづった貴重な資料である。“荷風”といえば厭世的な隠者のイメージがあるのかもしれないが、とてもそんな薄っぺらなものではない。あの名作「墨東綺譚」の舞台になっている玉の井についてみても、昭和11年(1936)5月16日の欄に「玉の井見物の記」と記して二枚の玉の井の地図が手描きされて詳細な注が施されている。多分「墨東綺譚」の執筆に当たってはこの地図が重要な資料になったのではないだろうか。
 ところで、大正から昭和の現代史考えるわたしたちにとって、市井の片隅にあってじっくり観察して“日記”に遺してくれた偉大な先達に敬意を捧げなければならない。関東大震災、昭和の出発、2・26事件、太平戦争(大東亜戦争)、3・10東京下町大空襲、終戦(敗戦)等々貴重な資料になる。

9月後半の期間なのでランダムに「昭和2年(1927)9月26日」を開けてみた。

曇りて寒きこと昨日の如し。午前執筆。午後鴎外全集第六巻所載の詠草を読む。(2行中略)
   御手洗にあふるる水の夜寒かな
   観音の御堂仰ぐや天の川
     小芝居の裏木戸通る夜寒哉
     のらくらと既に五十の夜寒哉
     立すくむ仁王の腹の夜さむ哉
     浅草や夜長の町の古着店
     鉦(カネ)たたく路地の小家や露時雨
   
 五十路にさしかかった荷風の心情が込められているように思えるのだが・・・。

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