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続・対話随想 №29 [核無き世界をめざして]

  続対話随想29 関千枝子から中山士朗様へ

              エッセイスト  関 千枝子

 今日は、新しい話題を。実は私たちの往復書簡Ⅲ集を差し上げた伊藤真理さんから頂いた感想のなかに、石浜みかるさんのこと(正確に言えば彼女のお父さんのこと)が書いてありました。石浜さんのお父さん(石浜義則さん)はクリスチャンで戦争中に反戦を貫き、街頭で語り、「宮城遙拝」をしなかったため、治安維持法違反で起訴されました。原爆のとき、広島の吉島刑務所にいらしたのです。このことは一九九〇年頃、石浜さんが児童向けの小説の形でお書きになったのを私も読んだ覚えがありました。伊藤さんに言われて、はっと私も思い出し、石浜さんに連絡を取ってみました。吉島刑務所で被爆なんて体験談がそう出るものでなし、これから出ることはまあないでしょうから(当時刑務所にいた人は今生きていたら若くても九〇代後半でしょう)。
 石浜みかるさんはお元気で、さまざま資料を頂いたのですが、驚くことばかりでした。石浜義則さんは、二〇歳でクリスチャンになり、歯医者の下で働き、独学で資格を取り神戸で歯科医をしていたようです。石浜さんの教派はクリスチャンでも小さいグループで、教会もなく街頭伝道をしていたため、一九三三年に逮捕。アメリカとの開戦直前の一九四一年九月に再逮捕。一九四三年裁判で実刑判決。神戸の歯科医院を閉じ、妻子を妻の実家(瀬戸内海の周防大島)に預け、自分は広島の吉島刑務所で服役。
 八月六日原爆。広島刑務所は塀が高いので、その陰になり政治犯の受刑者五二人は全員無事。千人ほどいた刑事犯受刑者のうち四〇人が死に、三〇〇人ほどが重傷を負ったそうです。
 石浜さんたちは独房から出られず、大声で助けを求めていると、囚人の中で自主的に四人が扉を角材でぶち抜き、石浜さんたちを助けてくれました。四人中一人は朝鮮人だったそうです。当時朝鮮人の囚人は多くいて中には独立運動家もいたそうです。
 七日以後、体力のある囚人四〇〇人が遺体の片づけ作業に駆り出されました。広島の惨状は、この人たちから聞いたそうです。
  政治犯五二人は、八日に山口刑務所に移されることになり、数珠つなぎにされ広島の街を歩き、廿日市から汽車に乗り山口に。敗戦は山口の刑務所で聞いたけれども、一向に釈放されない。一〇月八日にまた広島刑務所に帰され、一〇月一〇日にやっと釈放されました。石浜さんは行き場のない三人の朝鮮人運動家を連れ、周防大島(妻の実家)に帰り、朝鮮人三人にご飯を食べさせたそうです。朝鮮人三人は、ここにしばらくいたのち、朝鮮に帰国しました。
  石浜義則さんは歯科免許をはく奪されていたので、九州でしばらく歯科助手をし、三年後に免許を返してもらい、神戸に戻り歯科医師再開、伝導も再開したそうです。
    三人の朝鮮人のうち、姜寿元さんは韓国被爆者協会理事になっておられ、三二年後訪日された時、再会。「ともに吉島刑務所にいた」という石浜さんの証言で姜さんは被爆者手帳を獲得したのだそうです。
 石浜義則さんは手記を残しておられるのですが、「長崎の証言」のなかで書いておられるので、広島の人は吉島刑務所の被爆のことなど知らないのではないか、「ヒバクシャ遺産の継承」などと言っても吉島刑務所のことなど思いつく人もいないのではないかと思いました。また刑務所は知っていても朝鮮人の独立運動家のことなど、考える人はいないのではないか、などさまざまなことを考えました。
    さらに石浜みかるさんは、キリスト教の「満蒙開拓団」のことも調べておられて、今、本をつくっておられ、その最終段階だそうです。満蒙開拓団のこと、私も関心を持っていまして(私の生まれたころ起こった満州事変、満州国のことに関連しますので)、満州国のもたらした最大の悲劇が開拓団の最期だと思います。それで、昨年から二度も満蒙開拓記念館に行ったりしているのですが、キリスト教の開拓団があったとは知りませんでした。この人々も決して満州に行きたかったわけではなかったと思いますが、行かざるを得なかったのでしょう。そして悲劇的な末路になるわけです。詳しいことは、石浜さんの本のできあがりを待つことにしたいと思いますが、とにかく貴重な歴史の掘り起こしだと思います。
 いずれにしても大きな問題なので私が一人で聞くのは惜しく、竹内さんの会でぜひやっていただきたいと思っています。
 私、原爆のことに関して、いろいろ取材もしましたし、かなり知っていると思っていました。しかし吉島刑務所のことや、そこにいた政治犯のことなど考えてもみませんでした。満蒙開拓のキリスト教開拓団のこともそうです。本当に我が身の無知を思い、もっともっと勉強しなければならない、そして記録はしっかり残さなければならないと思っています。
 竹内さんの会では一二月三日に佐伯敏子さんを偲ぶ会をいたします。佐伯さんはあんなに有名な方なのに享年九七歳。倒れてから二〇年ということで、広島でも、会ったことがあるという方が少なくて、広島では偲ぶ会は成立しないのだそうです。時を感じます。佐伯さんの会のことは、次回に報告できると思います。


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