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続・対話随想 №27 [核無き世界をめざして]

続対話随想 27  関千枝子から中山士朗へ

               エッセイスト  関 千枝子

  選挙は、予想通り自民党の「圧勝」でした。小選挙区なので、票数以上に自民が議席をとったこともあり、自民党の人々も「手放しで喜んでいない=敵失で勝った=」ようですが、とにかく自民圧勝には違いなく、来年早々の国会から憲法での攻防が始まるでしょう。
 この選挙は「話題」は多くて、民進党の前原さんの考えた「希望」へのなだれ込みが、小池百合子の「選別発言」=全員を認める気はさらさらない=で、あの大人気が一挙に崩れ落ちました。それに怒った民進党の枝野さんたちが「立憲民主党」を立ち上げ、大変共感を集め、予想を大きく上回る得票で「野党第一党」、になりました。小池さんの『選別』にあたっての「上から目線の物言い」「不寛容さ」が反感を読んだと言いますが、私は『選別』の内容だと思います。改憲と安保関連法案を認めることが中身では、だれでも怒ってしまいますからね。「どこに一票入れるの!」と困っていた人々の票が「立憲」に集まったのはいいことでした。
 ただ、私は、あの都議選で、小池さんの「ファースト」に集まった票が一体どこへ行ったのか(自民に戻ったのか)不思議でなりません。ポピュリズムというものの「怖さ」を思いますが…・・。
 それよりも、これだけ大事な選挙なのに投票率の悪さが気になりました。台風のせいもありますが。一八歳一九歳が今度初めて選挙ができるというのに、その投票率はさらに悪い。とても気になりました。 若い層が政治に無関心ということ、困ったことですが、どうしてこうなってしまったのでしょうね。
若い方々と言えば、私、このごろ驚き、「反省」したことがあります。前の手紙で。有楽町で憲法9条の宣伝をしたのに、署名も。チラシをとる人も少なかったことを書きましたね。あの日もショックでしたが、あの数日後、女性「9条の会」で、フィールドワーク(戦跡を見る会)をしたのですが、それに参加した若い二〇台の女性の方(9条の会の会員ではなかい)が、「くじょうの会って、どういう意味ですか?」と聞いたのです。9条を知らないのです!「九条(くじょう)ネギじゃないのよ!」と思わず言ってしまいましたが。この若い女性、こういう会に参加するだけあって戦争の証言の引継ぎというか、証言を記録に残すなど、熱心に活動している人です。だから、びっくりしてしまったのですが。彼女、「9条」をのこと以外にも、よく質問してくれたのですが、ある霊園のなかに、ハルピン学院の碑があったのです。なぜこんなところに碑があるのか、それはわからないのですが、案内の人も、ハルピン学院のことなどあまり知りませんので、私が少し説明したのですが、彼女は「哈爾濱」のこともよくわからないようですし、「白系露人て、何ですか?ロシアのなかの地域の名ですか?」と聞くのです。白ロシア(ベラルーシ)のようなことかと思っているようです。私、びっくりしました。「白系露人」も、もう死語のようです。あの頃、哈爾濱とか奉天(瀋陽)とか、「満州」のちょっとした都市の名前は、小さな子どもでも知っていましたので、驚きました。戦争の証言などを聞いているのに、満州事変のことも知らないのです。私、事あるごとに戦中のことなど話すのですが、若い方たち、よくわからないまま聞いていたのかしら。何をしていたのだろうという思いで、本当に反省しました。前に建物疎開作業なんて言っても誰もよく知らないのだから、と言われ、中、高校生たちに被爆体験を話す時は、建物疎開とは何か説明するようにしているのですが、説明ばかりたくさんあってもくどくどしいし、本当に困りますね。
歳月と言えば、広島で供養塔の清掃を四〇年以上も続けたことで有名な佐伯敏子さんが十月三日に九七歳で亡くなったのですが、その偲ぶ会を十二月三日に例の竹内良男さんらの肝いりで行うことになりました。佐伯さんは親族を一三人亡くし、その被爆証言は本当に迫力があります。原爆の時、自分の一家だけでも大変なのに、親戚の人が焼けだれて逃げて来ても、面倒を見ることができず、すげなくした、ということがあります。原爆だけでなく普通の空襲でもそんなことがあり、戦災孤児の方のなかには、親戚との軋轢から証言も書けないという人がいます。佐伯さんの証言はそのあたりも、率直で生々しく、私も驚嘆して読みました。
佐伯さんは供養塔の清掃や遺骨の遺族探しの活動が称えられ、広島市民賞をもらっていますが、脳梗塞で倒れられてから二〇年、もう佐伯さんのお元気なころを知る人も少なく、広島では偲ぶ会もできないということです。なんだか寂しくなりました。私も佐伯さんとは実は詳しくお話を聞いた覚えはないのですが、この会に参加しようと思っています。「ヒロシマに歳はないんよ」と言っていた佐伯さん、核兵器禁止条約の採択の話は分かっていたのでしょうか。
それにしてもまたまた腹立たしいのが、一〇月二七日の国連総会で日本政府が核兵器禁止条約にも触れず、昨年出した案よりさらに後退した「核兵器廃絶案」を出し、多くの国々から痛烈な批判を受けたことです。本当に恥ずかしいと思い、怒り心頭です。
とにかく私、今の心境は、簡単には死なないぞ、ということです。国会で改憲案が通り、来年か再来年に国民投票ということになるかもしれません。若い人たちの真剣に今の憲法の大切さを言わなければ。戦争を知る「ババア」は死なないで、頑張らなければ、と思っています。

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