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ロワール紀行 №33 [雑木林の四季]

    水に浮かぶシュノンソオ

                             スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 ショオモンから南へ三十粁。爽やかな森や丘を縫い流れるロワール。その小さな支流、一筋のリボンのようなシェール川にそう森蔭。そこに寂としたシュノンソオの城館がある。デュパン夫人に招かれて、ここに滞在していたジャン・ジャック・ルソオが、ここのシャトオへの森道から眺めたシャトオの美しさを讃えて「シルヴィイの小径(こみち)」という詩劇をここで書き、この城館で初演したという。それほど美しいシャトオである。私の訪れた多くのシャトオのうちで、その姿の風雅、その配置の斬新、その庭園の美は、けだし白眉である。このシュノンソオのシャトオこそ、ロワールの女王と呼ぶべきであろう。
 シュノンソオのシャトオは、代々、女城主(シャトレエンヌ)が続いたことでも有名である。初代はカトリィヌ・ブリインネ夫人、二代はディアヌ・ドゥ・ポワチエ寵妃、三代カトリィヌ・ドゥ・メディシス王妃、四代ルイズ・ドゥ・ローレェヌ王妃、五代デュパン夫人、六代ペェローズ夫人である。
 現在、このシャトオは国有でなく、ムニエ家の所有となっている。フランスには、まだこんな豪華なシャトオをもちこたえる大きな富豪がいるとみえる。ムニュ家が七代目の城主というわけである。ムニュ家はショコラの会社を経営するフランス屈指の製菓王である。その主人の性別を聞き洩らしたが、マダムとすれば七代四百五十年以上も、女城主(シャトレエンヌ)がつづくことになる。

   中世風のシャトオで過した夜

 ロワールの観光的に有名なシャトオは、夏のシーズンになると夜間も開かれる。城を美しく照明し、その城館にまつわる歴史的、文学的な劇や詩の朗読などが、コメディ・フランセーズの男女優の声で行なわれる。
 これをフランス語でソン(音)エ(と)ルミュール(光)と呼ぶ。一九五一年、時のアソドルニ・ロワール県知事が、夜のシャトオの美しさを惜しみ夏になるとその城を舞台にした古典劇の朗読を始めたのが起りである。
 今では、フランス各地を始めイタリア、ギリシア、アラブ連合、イギリスなどでも、盛んにこの「ソン・エ・ルミエール」が催されている。その走りは、このロワールのシャトオの夏の夜に始まったものである。
 フランス全土に、シャトオを改造したホテルが沢山ある。もう五十を越していると思う。ロワール地方とプロヴァンス地方にことに多い。トゥールの近くではモンバゾンのシャトオ・ダァルティグニィは最も賛美である。昔、香水王のコティの城館だったという。
 しかし、手を加えないで、中世風のロウソクだけで生活するような、夜、幽霊でも出そうなシャトオに泊る方がもっと情緒がある。このようなシャトオには、現在の持主が一翼に住んでいて、自家製のチーズや酒を出してくれる。前以ってしかるべき人の紹介がないと泊ることはできないが、フランス貴族の生活を垣間見ることもできて興味がある。
 私が、かつて泊ったゲェ・ペェアンの城は、シュノンソオから車で二十分の深い森の中にあった。敷地百万坪、それに倍する森があって、門からシャトオまで十粁はある。濠にかけたバネ橋が上げてあって、クラクションを鳴らすと、城門の覗き台に門番(コンシェルテ)が上ってこちらを見乍ら「どなたか」と大声で叫ぶという古式豊かな用心深さであった。
 フランソワ一世が、狩の小屋として建てたものであるが、小屋とはいえない建坪三千坪もある堅固で広大な、まさしく狩のシャトオである。
 夕食も実に質素な一汁一肉である。食後、数百年にわたる家系の歴史をとどめている大きな書庫や、広い書斎を案内された。色々の文書や記念の写真や勲章などを見ていると、しばしば欧州の王族と婚姻し、時に軍司令官を出し、有名な大使や元帥、大臣を出し、探険家や学者、芸術家を輩出している絢爛たる家系であることが理解された。中世からレジスタンスまでのフランスの縮図が、この公爵家の中にしみこんでいるように思われた。
 夜も更けて、二階左翼部の客寝室に案内する女中頭は、手にロウソク台をもって長い廊下を先導する。ムッシュのお泊りになる部屋がプランソワ一世陛下の寝室でしたという。古色蒼然たる室の、大きなシュミネに一抱えもある薪が、パチパチとハゼて赤々と燃えている。ロワールの五月の夜は冷える。奥の広く寒いバス・ルームにも古風なルネッサンス凧のシュミネがあって、薪が音をたてて火の粉をとはしていた。
 朝、森側の窓をあけて一息吸うと、眼下の広い森に囲まれた馬場で、城主の姪がブロンドの髪を朝風に脚かせながら、軽い馬運動をやっていた。馬は鹿毛のアソグロ・ノルマン。なかなか歩様の短切でいい馬であった。サクサクと砂を踏んで手前を変える音が、実に爽やかに聞えてくる。
 馬場の周囲の牧場には、当才馬が放牧している。乳牛も草を食んでいて、それを搾っているのは朝の食卓に出すためだろう。朝食は城主のケゲラン公爵と姪と私の三人だけであった。彼女はキュロットに長靴のままテーブルについたのが印象的だった。

『ロワール紀行』 経済往来社


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