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じゃがいもころんだ №79 [文芸美術の森]

大人になったら2

                                    エッセイスト  中村一枝 

 大人になったらしてみたいことの一つはレンアイであった。してみたいとはいってもいったいレンアイとはどんなものか皆目見当がつかないのがほんとうのところである。
 私の母は一八のとき十三も年上の妻のある男のふとろにとび込んでいくという、大正の女にしてはかなり大胆、かつ、率直な人であるはずなのに、私にはレンアイというものの実態を垣間見せまいとかなり腐心していた。私が大人の世界に興味を持ったのは、小学校三、四年の頃、当時の婦人雑誌「婦人倶楽部」とか「主婦の友」を見るようになったからである。それも、当時、はやっていたグラビア写真の続きもの、ほとんどが男と女のたあいない話だったが、私はわくわくしてみていた。押し入れの奥から小型のルパン全集をみつけた。楽しみに見ていたらたちまち母に取りあげられた。けがれを知らない純真な子供に育ってほしいという、母のひたむきな思いとはうらはらに、わたしは母の望まない方にばっかり好奇心をそそられ、ずーっと早くから、レンアイなるもののふたをあけたくてそわそわしていた。
 母の末の妹で私より一歳上のTちゃんは、小さい時から日本舞踊を習っていた。
 上に三つ違いの姉二人、更にその上には、四人の兄貴がいる。耳年増になって当然の環境だった。彼女のおませぶりは、私には仰ぎ見るように輝かしく、一つ違いなのにまるで大人の人みたいと思ったこともある。その彼女と「お姫様ごっこ」という遊びを考案し、祖母の家に行くと、私とTちゃんは二階の部屋をしめ切って、二人で「お姫様ごっこ」に熱中した。私がお姫様、Tちゃんがその相手役の男性、という設定である。祖母は私の母とはちょっと違ってくだけたところがあり、私とTちゃんがどんな遊びをしようが、ませたお芝居をやろうが、まったく干渉しなかった。
 気性も育ちもまるで違うが、当時の私とTちゃんは「お姫様ごっこ」の親友であり、盟友であった。そんな時間が何年か続いた後に、突然事件が起こった。
 当時、私は大学生であった。大森の叔父の家に寄宿していた。夏休み、叔父の家に帰ると叔父がけわしい顔で、
 「お前のところにT子から連絡がきたらすぐ知らせなさい」
 皆が寝静まったあと、叔母がひそひそ声で話してくれたのは、
 「Tちゃんね、秋本さんとかけ落ちしたのよ、それで昨日からおばあちゃんところも大騒ぎなの」                                                              
 今の子供ならテレビドラマで見あきている話だが、当時の私には大きな驚き、そして一種の羨望が走った。Tちゃんは私より先に大人になってしまったのだ。
 秋本さんは一、二度みたことがある。一寸太り気味の赤ら顔、二枚目というより、たらの子みたいと思ったことがある。
  それに秋本さんには奥さんも子供もいる。Tちゃんは頼まれて秋本さんの家の留守番をしたり手伝いもしていたのだ。
 母は妹の奇禍といっていいできごとにかなり動揺していたが、父は終始冷静だった。男と女のなりわいを知りつくしている達観だったろう。私はそれがちょっと嬉しかった。
 Tちゃんにとっても、祖母の家にとっても、泥沼のような日々が続いて、結局、二人は結婚した。かけ落ちしてからの彼女とはどんどん疎遠になっていった。大人になったらしてみたかったレンアイ、年をとってみると、あれはやっぱりいいものだったと思う。 


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