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詞集たいまつ №68 [雑木林の四季]

さばく章

                                 ジャーナリスト  むのたけじ 

(2155)「金持ちは湯水のようにカネを使い、貧乏人はいつも食うや食わず、というのが世間の通念だが、とんでもない錯覚だな。金持ちはカネに対してすこぶるケチだ。だから金持ちをやっておれる。貧乏人は少しカネがはいるとルーズに使う。だから貧乏から抜け出せない。」と或る金持ちが言った。金銭とエンの薄い私は笑って聞きながら、反論できない気がした。あなたはいかが?

(2156)東北本線の電車でのこと、三〇代の母が五歳位の女児を連れた二組がすぐ近くに座った。女児のどちらも空腹を訴えたが、言葉は別だった。一人は「弁当屋さん、早くこないかな、早く来たらキャンディを上げますよ」と言い、他の一人は「弁当屋さん、早くこないかな、早くこないとぶっちゃうよ」と言った。「親のつらを見たい」という声はなかったが、二人の母は競うように顔をパフで叩いていた。

(2157)偉大、勇壮、熱血といった言葉で形容される事件、事物、人物を人々が好むのは、それらは稀にしか出ないからだな。無数の通常人の朝ひる晩の通常生活で織られていく歴史の布地に七色の虹模様を望むのは無いものねだりだな。無いものをねだると持っているものまで失いかねない。一九二〇年代から三〇年代にかけて(私は少青年期でよく覚えているが)日本社会では英雄待望論がはやった。そんなタイトルの本が忽ち五〇万部も売れたと話題になった。で、待望は満たされたか。やがて一九四五年夏に判決された。救国の英雄は出現せず、もっぱら亡国の軍人どもをのさばらせた。

(2158)日本の食糧自給率が下がって外国産に大きく依存する傾向は、一九六五年当時にはっきり見えた。コメの減反政策をやって一〇年目だった。時の大平正芳内閣は首を大きくかしげた。「外国から大量に食糧を買えるゼ二がいつまでも続くか? 経済恐慌でも起こったらどうするか?」「諸外国の農業生産や食糧事情が困難におちいって、食い物を売
ってもらえなくなったら、どうするか?」「ゼ二があって、売ってもらえたとして、それを日本まで運ぶルートが封鎖されるような国際危機にはどうするか?」これら三つの「もしも」はいつでも起こり得ると、大平内閣はコメの減反を根本から見直そうとした。そしたら大平首相が急死して、見直しが見直されてしまった。以来、政府の政策は惰性の波にただよい、いま自給率は四割そこそこ、すでにぜいたくムードに飼い慣らされた民族が「腹八分目」でがまんできるか。見ていなさい。空腹の極みにいkると、誰もが雑草だって木の皮だって土だって口に入れる。そのときには、「考えるべきことを、考え得るときに考えるべきだった」と反省する能力は失われている。

(2159)「反省すべきことを、きちんとしめくくって反省しないで、ずるずると惰性に身をゆだねると、同じあやまちを何度でも繰り返すぞ」とわが身を戒め、他人にも語った。三〇代、四〇代の時期でしたが、八〇代のいまから思えば、まことに浅はかでした。同じあやまちを同じように繰り返すことは不可能である。当然の反省をごまかして歩み続けると、すでに犯したあやまちより何十倍、何百倍も悪質に腐ったあやまちを犯すことになる。借金だけでなく良心の未払いにも高い延滞利息がつく。見ろよ、西暦二〇〇一年のこの列島社会のていたらくを。

『詞集たいまつⅣ』評論社


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