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30代からの自転車旅行のすすめ №7 [雑木林の四季]

第一章 自転車で旅に出よう №7                                                        

                                     作家・サイクリスト 鈴木茂夫

ペダルを踏めば出会いがいっぱい②
 自然の中に走り出して、目に触れたものの名称を覚えることは楽しいことです。自転車に乗って帰ってくると、知りたいものの名称を尋ねる「復習」も、なおいっそう楽しいことになりました。
 名称を覚えると、それらの四季の姿の変化がさらに興味を引きます。人により自然の中の興味を抱く対象が異なります。そこから走る仲間同士の会話も生まれます。
 道は文化をはぐくんだ動脈ではなかろうかと感じ始めたのは、さまざまなものの名称が、少しは頭に入ってからです。
 樹木や草花に親しい人は、自転車で走る最中に、じつに多くのものを観察し、心のポケットを豊かにふくらましているものです。
 小鳥に詳しい仲間の一人は、休憩しているときに鳥の鳴き声を聞きながら、姿の見えない鳥たちのことを、あたかも家族の近況を語るように話してくれました。
 村といわず町といわず、道には表情があります。道はさまざまなことを知る教室なのです。
 それは、自動車で走っていたときには、目に入ってはいても、全然気にかけていなかったことでした。自転車の速度と自転車に乗っている人の心のあり方に、その秘密があるようです。
 自転車に乗って村を訪ねると、「自転車じゃ大変だねえ、ご苦労さん、」といった挨拶をされたり、お茶をご馳走になったり、休んでいくように勧められたりすることがあります。遊びで走っている私としては、「いや、これが楽しいものですから…」とは答えるものの、恐縮せざるをえません。
 自動車で走っていると、こんな経験はまずありません。
自動車に乗っていると、機械の箱に入って、ほかの人間を拒否しているような印象を与えているのでしょう。
 これに対して自転車は、人を拒絶するものではなく、親しみやすい機械なのでしょう。自転車を走らせている本人の姿をあるがままに眺めることができるからだと思います。
 自転車から降りて道を尋ねるとき、そこには親しさが生まれます。そこはかとない天気の話、農作物の話が弾んだりするのです。土地の民謡、伝承、祭礼などについて話を聞くと、打ち解けて話してくれることも多いものです。旅するのに、黙々として道を行くばかりではつまりません。
 土地の人との語らいが旅を豊かに彩ってくれます。ある日、村の旧家の縁先に腰掛けて、家に伝わる村絵図を見せていただいたことがあります。それは、昔の村の状況が、イラスト風に描かれた地図の一種です。卓抜な挿絵で、村の状況を立体的に理解できました。
 しかし、ついでに見せてもらった古い文書には、何が書いてあるのか、まったくわかりませんでした。でも、それが読めれば、村での生活が貝体的に理解できるのにと悔しく思ったものです。
 その後、私は、近くの市の古文書の研究会に入会して村の文書に親しむようになりました。最初は外国語よりも難解だった筆書きの文字も、いつしか少しずつ読めるようになると、江戸時代の村の生活が目の前に見えてきたのです。
 今では、村の古文書に触れることが、とてもうれしいことになりました。
 古文書をつうじて、村の昔に接することで、村への親近感がふくらみます。初めて訪れた村が故郷のそれであるかのような愛着を感じるのです。

 


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