は竹の棒だのクワゼンボーを小銃に見立て、見えない敵に向かって進んで行く。時々、地面に伏せて小銃を構え、
「ダーン、ダーン」
と叫んで、弾丸を発射する。また起き上がって突撃する。女の子もカバンを肩にしてついてくる。従軍看護婦だ。走りくたびれてくると、
「やられたあ」
と大げさに叫んで倒れる。敵弾に撃たれ負傷したという状況だ。
「しっかりしなさい。傷は浅いよ」
「従軍看護婦」が、カバンから寝間着の帯を取り出して包帯してくれる。これはなかな気分が良かった。何度も負傷して、手足がぐるぐる巻きになったこともしばしばだった。(往年の「従軍看護婦」は、今も町内で元気に暮らしている)
時には、小銃を肩に、オイチニ、オイチニと、見影橋から山をぬけ、村山あたりまで突撃。へとへとになったこともある。
走って遊んではや幾とせ
私が2年生になった秋11月、校舎の増築・校庭の拡張工事が終わり、校庭に一周100メートルのトラックが完成した。校舎が移動したため、それまで学校の南の隅にあった2本のサクラとアオギリ1本が校庭の真ん中に位置することになった。
中止になっていた運動会が再開。私は二番組の代表として集落対抗リレーに出場、先頭切ってバトンを2年生に渡した。
走る楽しさをおぼえ、走る才能があることが分かった。
「少しは勉強しなさいよ」
という母の声にもかかわらず、学業はそこそこにして、走ったり、遊んだりの毎日。
あっという間に4年生になっていた。無口の父親は何も言わない……。