公私日記№3
「公私日記」とビッドルの来航(1)
公私日記研究会会員 河野淳一郎
「公私日記」は、武蔵野国多摩郡柴崎村(東京都立川市)の年番名主鈴木平九郎が、天保8年(1837)から安政5年(1858)まで書き残した日記です。
和漢混淆文で客観的に記されたこの日記は、筆者平九郎自身が後世の人々のために書き残すべき記録として、最初からそうした明確な目的を持って書かれたものです。
同日記の内容は、家・村・多摩の地域の出来事から江戸や・幕政に至るまで年代を追うごとに拡がりを見せますが、多岐にわたる記録の中に、一個所だけ異国船の絵が描かれている記事があります。そこに描かれた船こそ、弘化3年(1846)に来航したアメリカ東インド艦隊司令官ジェ一ムス・ビッドルの旗艦コロンブス号です。
ペリーの来航に先立つこと7年、幕末を象徴する異国船来航の記事として「公私日記」に記されたビッドル来航の書状は、多摩の一農村の名主の日記に残された史料として注目すべき記録であると言えるでしょう。
弘化3年(1846)閏5月15日、鈴木平九郎は義弟中島長兵衛と二人で浦賀へ旅に出掛けます。この時、平九郎は40歳でした。人口1000人余・家数240軒程の柴崎村の鈴木家には、平九郎を支えて、平村(日野市)から嫁いできた8歳年下の妻嘉代が、5人の子供と家を守っていました。
浦賀旅行の主な目的は、平九郎の実弟茂兵衛が手代見習として働いていた浦賀の米問屋大黒屋義兵衛を訪ねることにありました。その折に房総半島に船で渡り保田、那古に立ち寄り、前年に日本人漂流民を届けに来航した米国捕鯨船マンハッタン号のことを現地で聞き取っています。再び浦賀に戻って茂兵衛と別れて、江戸を廻って柴崎村に向かう途中、江戸で国籍不明の2艘の異国船が浦賀に来航したことを知ります。
この異国船こそが、ビッドル率いるアメリカ艦隊のコロンブス号とビンセンス号でした。「公私日記」弘化3年6月10日には「当月七日附浦賀茂兵衛より之書状今夕着」として、詳細なビッドルの来航に関する書状が載せられ