ン独奏、独唱、ハーモニカ演奏、長唄、筝曲(そうきょく)、常磐津(ときわづ)と種々のプログラムを用意して4つの会場で受信し、多くの聴衆をよろこばせた。
劇場で公演中の有名俳優やリサイタルを前にした演奏家にその演目を放送してもらったり、著名な作曲家山田耕筰に自作品のピアノ独奏を依頼したり、貴重盤のレコードを流したりと、話題性を盛り込んだプログラムである。
しかもおりから行われた第15回総選挙の開票速報を行って、ラジオが娯楽媒体としてばかりでなくジャーナリズムとしても画期的なメディアであることも的確に示している。 単なるラジオの知識普及という枠を超え、新聞社の将来の経営戦略を踏まえてのイベントであったと思われる。
▽大阪朝日新聞も、ラジオ放送開始がカウントダウンに入った25年2月、「無線電話展覧会」を大阪長堀橋の高島屋呉服店屋上で開催(11日~3月5日)し、実験放送を公開した。展覧会の会場には「ラヂオ国の公園」を設け、受話器でラジオを楽しむインスタレーション類や、通信の変遷図、ラジオ商組合出品の受信装置類を多数展示した。
14日から始まった実験放送は中之島の本社屋上の放送室から電波を発信、高島屋の8階と府立大阪商品陳列所で受信してその模様を公開したもので、プログラムは「真にラヂオに俟(ま)たねばならない最も有意義なニュース、講演、教化宣伝等を第1とし、それに和洋音楽を加へ」(2月14日紙面)たものであった。前記の大阪毎日新聞の公開実験と同様、娯楽媒体とジャーナリズムの両面の特性が強く意識されており、ラジオ放送に対する当時の新聞社の認識がよく現れているといえよう。
『ラジオの時代・ラジオは茶の間の主役だった』竹山昭子著 世界思想社 2002