昭和の時代と放送№4
時間メディアの誕生
元昭和女子大学教授 竹山昭子
無線電話(ラジオ)の公開実験-新聞社による先駆け③
▽大阪毎日新聞社が1924年4、5月に行った公開実験は、本社に送信所をおき、市内の4つのデパートに受信所を設置するという大規模なものであった。その模様を紙面から拾うと次のようである。
(5月)1日午後1時から本社の無線電話は中村鴈治郎(がんじろう)、松本幸四郎が出演し「勧進帳」及び6日初日の筈である中座(なかざ)の狂言「近江源氏」の盛綱首実検(もりつなくびじっけん)を放送した。三越、大丸、高島屋、十合(そごう)の各呉服店の受話室は大入満員、愈々(いよいよ)鴈幸(がんこう)の両優が無電放送室に入るや恰(あたか)も当日「越後獅子」放送のため来社中であった芳村孝次郎、杵屋勝太郎氏とここに邂逅(かいこう)し、難なく話が決って「勧進帳」の長唄は孝次郎、勝太郎が相勤むるといふ舞台には見られぬ副産物が出来た(5月2日紙面)。
こうした特設受信所でのラジオ聴取体験は人びとの人気を集めたが、大阪毎日新聞社はさらに、送信所での放送の実際を見せる見学会や無線技術の講演会をあわせて開催して、放送への関心の高揚と知識の普及をはかった。
大阪毎日新聞社の大会議室を会場にして、5月13日の午後1時と3時は婦人見学会。新聞に連載した劇『彼女の運命』を、角座(かどざ)に出演中の花柳章太郎、梅島昇、藤岡登喜が浪花座の舞台そのままのせりふによって聞かせ、続いて長唄、劇があり、最後に「無線と電波」と題する講演を行った。
午後6時からは男子無電見学会で「本社3階の会場は満員の盛況」。土屋もと子のヴァイオリン独奏には「流れる楽の音に聴衆は思はずも拍手を惜まずいま更ながら新利器の威力を囁(ささや)き合ふ」。続いて無電についての講演、終わって「5階の放送室で東京無電技師玉木氏の機械に就いての懇切な解説を聴きながら放送の実況をも見学し午後9時半思ひ思ひに帰路についた」(5月14日紙面)。
このように大阪毎日新聞は、大阪で放送が開始される1年も前から、意欲的な公開実験を行っている。本社内に放送室を設け、芝居のせりふ劇、ヴァイオリ