知の木々舎
浜田山通信№6

骨食う話①



                   ジャーナリスト   野村勝美







  6月の新聞各紙、文芸時評や学芸コラムで津村節子「遍路みち」が好評なので、30年ぶりくらいに「群像」7月号を買った。若い頃は定期購読したこともあったが、いま図書館で目次を拾い読みする程度である。


 吉村昭、津村節子夫妻とは瞬間的な接触があった。吉村さんについては、早稲田露文科同期で、広島を書き続けているいる中山士郎さんからも話を聞いていたし、井の頭公園近くのお二人の家に出入りしていた漫画家の大村一彦さんからも消息を聞いていて、気になる作家だった。ただ読んだ作品は「天狗争乱」と「東京の下町」くらいでお目にかかったことはない。


 それがある時、私の家に直接電話があった。「大村君の紹介ですが、ロシア語の文献で判らない言葉があるので教えてほしい」。私はあわてて「ロシア語はお情けで卒業させてもらったので・・・」と弁解しながらちょうどヤクーツク大学から帰国していた勝木英夫教授を紹介した。勝木は平凡社の大百科を加藤周一編集長のもとでデスクとして完成させた秀才で、私の福井中学、早稲田第二高等学院、早大露文科の同期である。


 ヤクーツクは吉村さんが当時毎日新聞に連載中だった「大黒屋光太夫」も通ったところで、勝木はソ連崩壊の年からそこの大学でシベリア少数民族、流刑囚、漂流民の研究を続けるとともに日本語、日本文化史を教えてきた。今年も9月から3ヶ月出かけることになっている。だから吉村さんの疑問に答えるには最適の人物だったのだが、作品が上梓されて後書きを見ると、資料収集協力者に私が出ていて勝木の名前がない。再販の時に直してもらおうと思いながらそのままにしてしまった。


 一方、津村さんは福井市の生まれで順化小学校に3年までいた。住まいは市の真中の馬場という繊維問屋街。私の連れ合いは順化小の2級下。津村さんには織物や紙漉を舞台にした「絹扇」「花かたみ」などの作品がある。私は「サンデー毎日」の文芸担当時代に福井文人会という集まりの連絡係をやったことがあり、高田博厚、中野重治、深田久弥、夛田裕計、宇野重吉、水上勉
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(雑木林の四季)09-07-25 10:44


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