すかさず蕎麦打ちが始まる。豆乳でゆるめに溶いたそば粉に、少しずつ蕎麦粉を加えて硬さを調整し、しっとりと捏ねあげてゆく。樫の木の捏ね鉢が二つ並べてあった理由がこれで理解できた。それ以上は秘伝の職人技だから説明を憚るがご勘弁を。(切り)も、四角にのして重ね切りする独特のものだ。
さて、津軽蕎麦がなぜ海峡を越えて函館にあるのか。頃は明治の末、蕎麦包丁を抱いた「流れ職人」のもとに足繁く通ったのが、るみ子さんの祖父山田青治。雑貨屋を営む青治に「そんなに蕎麦が好きなら、自分で打ってみな」その一言が現在の(かね久山田)誕生の由来だ。やがて雑貨屋と蕎麦屋を兼業した青治だが、「そば粉七三かい」なんて知ったかぶりする客に対して、「代金はいらねぇ」と追っ払った頑固者。貧しい人には「にぎり飯」を施すやさしい一面も。恩に感じた男は、後日、店先に新品の洗面器をそっと置いていった。「かね久山田」の津軽蕎麦は、安くて旨い。「蕎麦は小ゼニで食うもの」祖父の教えを、頑なまでに守り続ける中村るみ子さん。どうか早く後継ぎが見つかるようにと念じ ながら、秋色深い津軽海峡を渡る風が心地よかった。
かね久山田(かねきゅうやまだ) 北海道函館市宝来町25-2 電話 0138-23-4438