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住宅団地 記憶と再生 №53

Ⅶ ひばりが丘団地(ひばりが丘パークヒルズ)
 
     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

事業着手を延期して家賃減額新制度の適用

 公団はひばりが丘団地については2期制をとり、当初、1997年度の事業着手を予定していたが、この年に従前居住者にたいする家賃減額方式の改正が試みられ、98年に新制度の創設がきまった。新制度によって、とくに公営住宅収入基準に該当する高齢者世帯等には公営住宅並みに家賃減額する措置(本来家賃の50%を限度)が設けられ、戻り入居がしやすくなる。新制度適用は発表の98年8月以後になり、公団は自治会と協議のうえ事業着手を99年度に延期をきめた。ひばりが丘は新制度適用の第1号団地となり、第1期建て替え事業説明会は従前戸数1,346戸を対象に99年3月にひらかれた。その日から2年を期限に居住者は移転し、公団は「一団地の住宅施設」の都市計画を変更し、都条例にもとづく環境アセスメントの手続きをへて、建物の解体、建て替え工事が本格化したのは2002年7月であった。
 公団が建て替え事業に着手したのは1986年であり、ひばりが丘団地が遠からず対象になりうることは察せられたにせよ、まだ調査対象にも指定してきていない1990年と、いよいよ第1期第1ブロック先工区の工事がはじまった2000年における団地全体の世帯数(居住戸数)、人口とその年齢構成を単純に比較してみた。1990年はまだ2,609世帯、人口6,619人、世帯主55歳以上はその24・7%にたいし、2000年には1,529世帯、3,229人に半減し、高齢層は47・7%と倍増している。建て替え着手まえに総戸数の半数近くがすでに空き家になっていた。もとより10年が経過し、空き家補充も停止して高齢化率が高まるのは当然であるが、その間に高齢層が建て替え後の住宅にもどり継続居住しやすい家賃措置が新設された影響は大きく、戻り入居希望者は50%から70%へ上がったといわれる。
 それにたいし従前居住の若年層には戻り入居を容易にする減額措置はなく、あとで述べる公団の新設住戸は戻り入居戸数にかぎる縮小方針への転換とあいまって、若年の低所得層を追い出し、世代バランスをこわして人口構成を歪める結果をまねいたといえる。
 建て替え工事がはじまって3年も経過すると、居住戸数は半減していた。2002年相におこなった第6回「団地の生活と住まいアンケート」結果(配布数1,359、回収961世帯、71%)によると、世帯主は男性68%、女性32%、60歳以上が64%、単身32%、2人世帯37%と高齢化、単身化がすすみ、20年以上の居住が74%を占める。収入源は年金43%、給料23%で、当時の世帯収入は37%が260万円未満、71%が所得5分位の第1分位層(469万円未満)であった。家賃は85%が6万円以下で、公団賃貸に住みつづけたいは67%(3年前80%)、公営住宅入居希望が26%あった。
 ひばりが丘では団地建て替えそれ自体に反対しつづける動きはあらわれなかったが、アンケート結果がしめすように、圧倒的多数の「ひばりが丘に住みつづけたい」願いと家賃が高くなって住めない、引っ越さねばならない苦悩とやりきれなさは切実であった。

第2期事業計画の大幅変更

 1999年3月に第1期第1ブロック、2002年3月に第2ブロックの着手説明会がひらかれ、第1ブロックは04年3月、第2ブロックは07年3月に竣工し、入居が始まった。
 この期間、公団住宅は存続の危機、公団廃止「民営化」への瀬戸際に立たされ、建て替え事業の基本方針も大きく変更された02001年4月に小泉内閣が発足し、12月には「特殊法人等整理合理化計画」が閣議決定され、「2005年までに都市公団は廃止し、独立行政法人にひきつぐ」をはじめ、「賃貸住宅の新規建設は行わない」「管理の民間委託を拡大する」「棟単位で賃貸住宅の売却に努める」政府方針がきまった。これにもとづいて2004年7月に都市基盤整備公団を都市再生機構に改臥06年住生活基本法が成立007年用に第1次安倍内閣が汗規制改革推進3か年計画」を閣議決定して、「公団住宅肖瞞」大方針のもとに、「収益本位の建て替えと整備敷地(余剰地)の民間売乱「家賃減額の縮小」を機構に指示した。
 ひばりが丘団地では自治会と公団が10年余にわたって話し合いをかさね、自治体をふくめ団地全体のまちづくり構想に同意したうえで建て替え事業に着手した。2,714戸を建て替え約3,600戸に増やそうという計画であった。このグランドプランのもとに1999年3月、第1期1,346戸を対象に建て替え事業に着手し、工事は進められた。その後、機構からの連絡は途絶え、2004年2月になって、事前の協議もなく突如、三者合意を一方的に破棄して大幅変更した第2期計画をしめして着工説明会を強行しようとした。建て替えは戻り入居希望戸数にとどめ、3,600戸構想を1,700戸に縮小する、広大な「余
剰地」は、あきらかに民間売却を視野にいれて「他に活用する」といいだした。自治会はただちに「信頼関係を断ずるもの」として公団東京支社長に抗議をした。
 そして第2期事業は1,368戸を対象に、2005年3月第1ブロック、08年3月第2ブロックの着手説明会がひらかれた。第2期工事は08年11月から12年7月にかけて竣工、入居を開始した。
 ひばりが丘団地34ヘクタール、2,714戸の建て替えは、1999年3月に着手し、13年をへて2012年7月に、約15ヘクタール、機構賃貸住宅1,504戸を「ひばりが丘パークヒルズ」として建設して完了した。従前居住者約900世帯が新設住宅に戻り入居した。多くは戻り入居を予定して居とどまっていた約1,300世帯にたいしては70%の戻り率であり、これまでの建て替え団地のなかで「画期的な」高率といえよう。とはいえ、団地住民の60~80%が「公団賃貸に安心して住みつづけたい」とする願いからすれば、ひばりが丘団地においても、従前総世帯の33%しか建て替え住宅には戻れず、大半の住民は拝みなれた地を離れなければならなかった。

『住宅団地 記憶と再生』東信堂


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