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美味懐古 №8 [雑木林の四季]

橋善

         加茂史也

  前説・世の中の移り変わりに消えていった店がある。1950年代から1970年にかけ東京   
     にあった店。今も憶えている店。そんな店を心の内に訪ねてみた。

天麩羅の老舗・橋善は、銀座8丁目から高速道路の下を抜け昭和通りとの交差点にある。
昭和24年(1949年) 春。 
大学に入学した喜びのままに銀座を訪ねた。新橋駅から銀座通りへ入ろうとする四つ角のそばに橋善はあった。和風木造づくりの平屋、なぜか銀座の老舗の食堂のように見えた。とても貧しい学生の入れる店ではないと思った。      

9月、育英資金をもらえることになり, 大学の会計課で初めての支給を受けた。 2か月分3600円だった。にわかに裕福な気分になり、思い切っておそるおそる橋善の暖簾をくぐった。 

広い座敷の中に かなりの客が入っている。 丼飯をかき込んでいるのが目につく。メニューを開く。天重、盛り合わせ、定食などのあとに天丼100円が目についた。 
これならいけると給仕のおばさんに声をかけた。ついでだからここはどういうお店ですかと尋ねる。
 「学生さんはいいわね。素直に質問して。それはね、よく聞かれるの 」 
おばさんは一息入れると愛想よく話してくれた。
 
  1831年(天保2年)、創業者の橋本善吉が新橋で屋台の蕎麦屋をはじめ、名前をつめ  て橋善と名乗り、ついで天麩羅の店を開いて今日に及んでいるという。

私の食卓から厨房の様子がよく見える。 大きな鍋に職人が素材を投げ入れている。  
おばさんに尋ねた。 
「あそこの大鍋で天ぷらを揚げるんですか」   
「 そうなのあれがね、天ぷら鍋よ。 南部鉄よ、重さは20キロ、鍋の厚みは2cmある。 あの鍋で天ぷらをうまく揚げるには、一年や二年の修行じゃダメね」    
おばさんは自分が天ぷらを揚げるような顔をした。 

待っていた天丼が食卓に置かれた。ふたをとる。 大きなかき揚げが載っている。  
「 中身はね、 玉ねぎ、三つ葉、むきえび、小柱、イカ。直径は12cm、厚さは10cm。これか゛うちのかき揚げよ」 
 それは初めて食べるかき揚げだった。信じられない大きさだ。夢中で食べる。喉が渇いてきた。 
「 あの味噌汁のおかわりを……」  
「 いいわよ。 何杯飲んでも無料ですから」 
私は東京の天ぷらの味をここで覚えた。 あのおばさんの客あしらいが懐かしい。 


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