私の雑のう №2 [雑木林の四季]
はるかなる山河に その2
矢作啓太郎
矢作啓太郎
はじめに
雑嚢とは雑多なものを入れ肩から掛ける布製の小型のカバン。何を入れるかに決まりはない。小型だからあまり大きいものは入らない。適当な大きさのものを選んで自分の好きなようにすればよい。これは90歳を超えた老人が雑嚢にためこんだとりとめもない駄文のひとつだけれど……。
目黒 晃 東大文学部社会学科 29歳
昭和16年9月 華中岳州野戦病院で戦病死
(父への手紙)
父さん、かうして愈々この支那事変といふ未曾有の戦の中に在って一兵士として私の進む道も決められました。来たるべき日がとうとうやって来たのです。幾度も父さんは私に今日の日に生きるべき覚悟を促して来ました。私はその度に新しい意気を振ひ起こして此の困苦の中に生きる心算をねりました。残念乍ら私は未だに悟ることは充分ではありません。唯若い者の盲滅法の精神を以て進むだけの事であります。
父さん、正直の所私は此の中支の地で今迄の何ヶ月の間に父さんだの,母さんだのに身近に、あの子供の時分の様に愚痴をこぼし、訴へたい様な事が幾らもありました。それは意地悪な友達が家に帰って両親に告口する様な子供らしさではありましたけれど…… いろんな事を聞いて戴き度くて、淋しくて孤りで夜、表に出て黙って星空を眺めた事が幾度もありました。
菊山裕生 東大法学部 24歳
昭和20年4月29日 比島エチアゲ飛行場て戦死
実際、12月の末、1月の始め頃は上靴で撲られ、帯革で撲られたりしていた。飯のつけ方遅すぎると言って2時間も立たされた末、散々蹴られたり,撲られたりするのもあった。君も知っている通り、動くことの不精な、要領の悪い私も亦其の例に洩れなかった。消燈ラッパは「新兵さんは可哀やのう又寝て泣くのかよう」と鳴るといふが、何度も
撲られて,床の中につきとばされた時は,痛いよりも口惜しくて,実際,「状袋」の中で泣かなければならなかった。気が弱くなった。五ヶ月教育といふうが、その5ヶ月が終わるまで何日あるかと毎日の様に数へた。夜便所へ行く途中、寒々とした月を見ては、あの満月を幾度ここで見ること思ふのだった。早く戦線に立ちたいといふのも寧ろ一つの泣き言でしかなかった。
海上春雄 東大経済学部 24歳
昭和20年1月9日 比島リンガエン湾で戦死
遺書
死こそは正に人生の深淵にして人たる者の心の中に常に留め置かる可き事とは言いひ乍ら事に際してその決意を新にす可きこそ肝要ならん。
顧みるに吾この世に生を享けしより20有余年一つとして偉大なる天地万物の恩愛に浴せざりし事なくそれに報ゆ可き何物も有るせざりき。
吾只吾が命の為にのみありし
凡てのものの為に徒死を願はず吾只報恩の途を進まん。
海上春雄
絶筆
(昭和20年1月 比島ルソン島基地ニテ出撃前「メモ」ノ紙片ニ鉛筆書ノモノ
父上様、母上様。
父上様、母上様。
元気デ任地ヘ向ヒマス。春雄ハ凡ユル意味デヤハリ学生テシタ。
春雄
澤田泰男 東大法学部 23歳
昭和20年5月本州上空で戦死
すべての障害を気持の上で除去し得て虚偽のない赤裸々な気持になれと言ったことがあるが、さう言った自己が今にしてやっと赤裸々な気持になり得ているのだ。誠に恥しい次第です。再び違った意味と気持で君の夢を見つづける様になった。この気持こそ生涯変るままい。これが私の本心だ。(中略)かうした二人がお互にかくまでしっかり結び合わされたことは永久に二人の結合いみするものではなからうか。私も先短い命、君は許してくれるものとして出来うるならば、この気持を実現してゆきたいとの思ひ切なり。
切々たる思いを祖国日本によせて,若者たちは散った。私たちはその思いの上に生きている。戦後80年、私たちは戦争のない社会に生きてきた。そうであるからこそ、若者の思いを思い起こしたい。
この本の編集部は巻末に、生き残ったわれわれに、生きていく意義を訴えている。
失われなかった人間性
私達は生き残った。あの激しい戦争の中をとにもかくにも生き残った。(中略)
どうして生き残ったか。 運命による者もある。 戦争で私達は運命の力の恐ろしさをひしひしと身に感じた。 (中略)
祖国を愛し家を愛するゆえに、大部分のものは喜んで行った。皇国の不滅と不敗とを信じて敢然として敵艦船に単機をかって飛び込みさえした。
特攻隊志願を航空隊でかたく拒んで生き残った者もある。上官からは乱臣賊子とののし れ、同僚にはひきょうものとあざけられ、しかも彼は断固として志願しなかった……
こうして私達は生き残った。
終戦の時、何よりも強く感じたのは私達が生き残ったという事だった。その感動はすぐ敗戦の祖国の上に及んだ。その再建、いやもっといえば新日本の創造が生き残った私達の大きなつとめだという事を全身で自覚した。(中略)
私達はこの再建の基盤を早くも戦時のこれらの手記に見いだすのだ。これらの人々を持った日本はまだ決して滅びないと感ずる。
2025-01-14 08:51
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