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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」 №144 [文芸美術の森]

          シリーズ:江戸・洋風画の先駆者たち
           ~司馬江漢と亜欧堂田善~
                 第13回
            美術ジャーナリスト 斎藤陽一
      「亜欧堂(あおうどう)田(でん)善(ぜん)」 その7

≪江戸時代最大の油彩画≫

 今回は、亜欧堂田善が描いた江戸時代最大の油彩画であり、しかも、他には見当たらない「油彩屏風」である「浅間山図屏風図」を紹介します。

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 この絵のサイズは150×338.2cm、六曲一隻の屏風絵で、国の重要文化財に指定されています。

 全面に大きくとらえられているのは「浅間山」
 これまで見てきたような田善の銅版画や油彩画のような、「透視画法」とか「陰影法」があまり見られない。
 しかも、田善がしばしば絵の中に描き込んできた人物の姿も見られない。
 だから、一見すると、田善の作品としてはどこか平板な印象を受けてしまう。
 それゆえ、かつては「このような大きな絵に取り組んだ田善の技量の限界」という見方もありました。

 ところが、平成3年(1991年)、福島県須賀川市の旧家から、この屏風絵の稿本(下絵)が発見され、田善の当初の意図が明らかになりました。(下図参照)

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 上図の下絵では、左側に煙が上がる炭焼き窯、その横に二人の人物が。一人は炭焼き、もう一人は薪を割る仕事をしている。この部分は、下絵の大きな部分を占めており、写実的に描かれている。右下には裾野の風景も描かれる。

 ということは、田善は当初、得意な風俗描写を大きく取り込んだ風景画を描こうとしていたことが分かる。

 ところが、もう一つの下絵(下図)では、炭焼きの男と炭焼窯は消え、薪を割る一人だけになっている。
画面をよりすっきりとした構成にしたかったのでしょうか。

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 今度は、完成図(屏風絵)と第二の下絵とを比べてみよう:

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 完成図では、左側にあった人物たちや炭焼き窯などがすっかり消えている。
 さらに、下絵の右下にあった「裾野」の代わりに、なだらかな丘陵と雲が描かれている。その結果、画面はより落ち着いたものとなった。

 おそらく田善は、それまでの銅版画や油彩画とは異なり、室内に飾って鑑賞する「屏風」という形式を考慮して、意図的に、写実的な風俗描写や立体感の表現を抑え、平面的で装飾的な美を表現しようとしたのかも知れません。

 この屏風絵が描かれたのは文化年間の後半、田善の最晩年にあたる60代後半。
 田善が新たな方向を模索していた可能性も考えられる。

 最後に、もうひとつ、晩年の亜欧堂田善が描いた異色の油彩による山水画を紹介します。
144-5.jpg 右図がそれで、絹地に油彩で描いた「山水人物図」

 これは写実的な風景ではない。
 伝統的な「山水画」の概念を「油彩」で表現してみせたのです。
 だから、何とも不思議な、いわば「シュールな風景画」となっています。
 
 岩の形は「キュビスム」の絵のよう・・
 岩の彩色は、灰色に薄いベージュを重ねて、東洋水墨画の岩とは異質なぬめぬめとした岩肌となっている。

 それを、中国風の衣装を着けた高士が見つめている。
 急峻な山岳風景の中に、高士と従者を描き込むという画題は、東洋山水画の伝統的なスタイルです。
 しかし、田善のこの絵から受ける印象は、まるで異質な感じ。田善独自の絵画世界です。
まさにこの絵は、田善が、東洋伝統の山水画を、新たに油彩で西洋画風に描いてやろうと試みた意欲作なのです。

144-6.jpg
 
 次回は、亜欧堂田善が、自分を引き立ててくれた白河藩主・松平定信の期待に応えて、銅版画で制作した「世界地図」や「解剖図」を紹介します。
(次号に続く)


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