浅草風土記 №42 [文芸美術の森]
香取先生 1
作家・俳人 久保田万太郎
香取先生
一
「……偖我が浅草小学校訓導香取真楯先生には明治三十年本校に教鞭を執られてより在職当に三十二年の其間温厳宜しきを得て児童を教育せられたる功績は本校関係者の熟知せる所に有之候。宜なるかな昨秋御大礼に際し文部大臣より功労顕著なる故を以て表彰せられたる事や、是先生の御栄誉は勿論本校としても全国を通じて僅かなる特別功労老中に加はるべき先生を出したるは非常の名誉と存じ候。仍(よ)つて有志相図り先生の為に左記の通り祝賀会を開き並びに記念品を贈呈致し度候間先生に縁故を有せらる方は勿論本校関係者諸氏は右趣旨御賛成の上奮って御参会被下度此段待貴意候。敬具。」
「浅草小学校香取先生表彰記念祝賀会」からこうした印刷のてがみをわたしはうけとった。香取先生というのはわたしのむかしの先生である。むかし小学校で教わった先生である。――小学校ではじめてわたしの英語を教わった先生である。
勿論、その時分でも、英語は正課ではなかった。高等三年以上……だったと思う……の希望のものだけがそれをやり、やりたくないものはやらなくってもいい、そういう自由な規則だった。で、そのためには、正規の稽古の終ったあと一時間でも二時間でもなお残らなければいけなかった。だから、自然、それを希望するものは、級の中でもある程度の成績をかちえているもの……端的にいって「勉強家」……その時分の言い方でいって「学校の好きな」ものばかりに結句限られた。――なかでも、わたしの、優秀な成績をもった生徒、感心な勉強家、不思議に「学校の好きな」子供だったことはいうをまたない。
ところがその優秀な成績をもった生徒の、感心な勉強家の、不思議に「学校の好きな」子供の仮面が、あるとき、痛快に、もののみごとに引ッ剥がれた。その英語の時間にである、その時問に香取先生によってである。
「勉強せい!」
一ト言……たったそう一ト言いわれてすくみ上った。
というのも重々こっちがわるかったので、忘れもしない、神田リーダーの、あなたはわたくしよりせいが高い、かれはあなたよりせいが高い、かれは三人のうちで一番せいが高い。……そこんところを香取先生、噛んでくくめるように二ことを幾度も、しかくあなたはわたくしよりせいが高い、かれはあなたよりせいが高い、かれは三人のうちで一番せいが高いとそればかりくり返すのをじれったく、もういい分った、いつまでおんなじことをいっているんだ、と甚だ不届きに、わきを向いて、となりのものとわたしは話をはじめた。――勿論なんの話、どんな話をそのときはじめたかはおぼえていないが、どのみち公園の、加藤剣舞の最近替った演(だ)しものについての話、でなければ押川春浪の『海底軍艦』の話か、でなければすぐもうそこに眼のまえに迫った四万六千日の話か……なぜならそれが一学期の末の、すぐもうあかるい夏休みになるであろう時分だったから。……おそらくそんなこと位に違いない。……
と、そのとき、
「久保田!」
不意にそう呼ばれた奴である。~はっとしたって間に合わない……
二
が、優秀な成績をもった生徒は、感心な勉強家は、おくめんなくすぐ立上った。
「つぎを読みなさい。」
香取先生は敢然といった。
「……」
勿論、わたしは、無言に立ちすくんだ。――読めといわれたってどこを読んでいいのか
分らないのである。――わたしの持って立った本の、すくなくもいままでわたしのあげて
いた部分には、ことさらそんな読まなくッちゃァならない文章なんぞ存在しないのである。
わたしはわたしのうえに教室中の眼を感じた。――わたしはカッカした……
「出来ません。」
潔くわたしはいった。
「出来ない?」
それは、だが、香取先生にとって意外な返事らしかった。
「……出来ません。」
もう一度わたしは……だが、今度は、まえほど決していさざよくなくいった。
「…………一
急にあたりのしんとしたのをわたしは感じた。――と、そのとき――そのときである……
「勉強せい!」
……わたしはすくみ上った.。
というのが、これ、そこにいるのは始終一しょにいる仲間ばかりでないのである。その時間に限って女が一しょなのである。男女共学なのである。――入らざるよそ外の奴たちのまえにかかなくってもいい恥をかき、うしなわなくってもいい面目を失ったわたしに、そのままぼんやり腰をかけたわたしに、その教室(とはほんとうはいわなかった、その時分まだ教場といっていた)の、どこもすっかりせいせいとあけッぴろげた三方の窓、その
窓々の白い金巾のカーテンをふき抜いて来る午後の風があくまで無心にやさしかった。
わたしは眼をそらした。
そのカーテンのかげに、七月のあかるい濃い空が、カッとした、殿きつくような感じにひろかっていた。
不思議とそのけしきを、夢のように、いまだにわたしはおぼえている。
が、それ以来、わたしにとって香取先生は怖い先生になった。それまででも怖くないことはなかったけれど、すくなくもそれ以来、はッきりと怖くなった。ごまかしのきかない先生、油断の出来ない先生、だらしのないことの大嫌いな先生として、わたしばかりでなく、外のものでもみんな気ぶッせいがった。――ということの一つは、そのときの、われわれ高等三年担任の先生が音無しすぎるほど音無しい先生だったからである。やさしすぎるほどやさしい先生だったからである。だから何をしても大丈夫という肚がみんなにあった。――そこへゆくりなくあらわれたのが香取先生……剛毅そのもの、果断そのもののような香取先生だった…・
実際この紺の背広につつんだ先生の短躯……先生はふとって小柄だった……にはみるから精悍の気がみなぎっていた。太い眉、けいけいと輝いた限、ふさぷさと濃い毛を無雑作に分けた頭。――運動場で号令をかけるのを聞いても、誰よりも、先生、一番キビキビと大きな声だった。
わたしの記憶にもしあやまりがなければ、ふだんは先生、尋常三年だか四年だかうけもちの先生だった。
『浅草風土記』 中公文庫
『浅草風土記』 中公文庫
2025-01-14 09:04
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