多摩のむかし道と伝説の旅(№31)
-古歌に詠われた向ノ岡から多摩の横山道を行く-4
原田環爾
展望広場を後に、給食センターを下に見ながら、相変わらず比高差10~20m程度の尾根道を進む。この辺りは先の古東海道と並走していたという。程なく国士舘大学の裏手に至る。道は一段と樹々が深くなり静寂が辺りを包む様になる。コナラなどの雑木林の木々だけでなく桜や竹など種々の樹木が小道を挟んで迫る。まるで鎌倉道の

様な凹字型断面の暗い切り通しを抜けると左右に大学のグランドが広がる。特に左手の川崎市域のグランドは山の中の盆地の様な所に作られており、静寂に包まれたグランドといった印象である。やがて樹林を抜けグランドの入口がある三叉路に至る。万葉の道を彷彿とさせてくれた丘陵の道もここで一旦お別れだ。右折して丘陵を下る。丘陵の住宅街をS字状に大きく蛇行しながら下ると、多摩ニュータウン市場の建屋裏の車道に出る。丁度そこは現代の鎌倉街道の上を跨ぐ大きな陸橋の袂にな

っている。街道はひっきりなしに車両が行き交っている。橋を渡り終えると橋の袂左から瀟洒なよこやまの道が坂道となって続く。こ道は比較的後になって開設されたものだ。細い小道をうねうねと進むと左手に墓苑が見えてくる。やがて右に日蓮宗の妙櫻寺横を抜けて一本杉通りに入る。この通りは北から南下してきた貝取大通りの延長線で尾根幹線道路を越えてやや狭い通りに変貌したものである。左折すると恵泉女学院の角で分岐点に来る。「よこやまの道」はそのまま右の緩やかなにカーブする一本杉通りを採って女学院前へ進む。なお左の女学院裏へ入る分岐道は小野路宿へ向かう旧鎌倉街道上ノ道に通じる道筋である。

ちなみに鎌倉街道は古くは鎌倉道と呼ばれた。中世の頃、東国の武士達が彼らの居館と当時の都、鎌倉との往還に踏み固めた道筋である。建久3年(1192)、源頼朝は始めて武家政権を樹立し、鎌倉に幕府を開いた。いわゆる鎌倉幕府である。東国の武士達は早くから頼朝を武門の頭領として臣従し政権樹立に大きな役割を果たした。鎌倉街道はこうした東国の御家人達が一朝ことあれば”いざ鎌倉”と馳せ参じる道筋であった。鎌倉街道の主要な道筋は上ノ道、中ノ道、下ノ道の3本であったが、その他にも多数の枝道、間道があった。上ノ道は高崎から入間を通り、所沢、東村山、小平、恋ヶ窪、府中を経て関戸で多摩川を渡り、貝取を通って小野路、町田を経て鎌倉へ通じていた。鎌倉にとって戦略上、また防衛上極めて重要な道筋で、中世のあらゆる時代を通じて、坂東武者や軍馬が疾駆し激しい合戦が繰り返された。そのためこの道筋には多くの古戦場跡が今に残されている。とりわけ建武中興戦争における新田義貞の鎌倉攻めはこの道筋を大軍を率いて南下したことで知られている。

桜並木の一本杉通りはやがて緑滴る一本杉公園の中へと入ってゆく。公園は通りの両サイドに広がる。左手園内には池や古民家があり、その一角にはあの赤駒の歌碑もある。一方右手の園内には球場があり、時に野球の試合で賑やかな応援合戦に遭遇することもある。大きく右に旋回しながら園内の緑道を進む。やがて公園を抜けると今度は左へとカーブし小さな墓地の前に出る。小さな坂を下ると右へ直角に折れる分岐道がある。道標に従いここを右折し住宅街に入る。うっかり直進しないこと。筆者は一度直進して住宅街からやや外れた未舗装の急な下り坂を下って町田方面に抜けたことがあるが、その際、坂道の途中で2匹の犬にけたたましく吠え立てられ驚かされたたことがある。

右折すると右手少し離れて赤い給水塔が聳え、左手街路脇には比高差3~4m ばかりの低いハケが現れる。そのハケ上の外周に沿って幅1mばかりの遊歩道 がついている。これが「よこやまの道」の続きだ。ハケ上の道に入る。ハケ道の右側は切り立って見晴らしがきき、左側は林になっている。ただ林の奥行きは薄っぺらで、樹間からはグリーンの芝生で覆われた大きなラグビー場が見える。キャノン所有のスポーツパークなのだ。かつては帝京大学所有の盆地の様な造成地に過ぎなかった。つまりこのハケ道はこの辺りにあった丘が両側から削り取られて残された細い帯状の堤になっているのだ。この道は遠い昔の奥州古道中尾道といわれ、都の貴族や役人が奥州へ向かう時に通った道筋と言いい。また辺境の防備兵として召された防人達が北九州へ向かった道筋とも言われる。
やがてハケ道は大きく左へ旋回し100mばかり下って車道の都道156号線に出る。都道156号線はなんの変哲もない車道だが、この道を左手南方に10mも進めば町田市との市境になる。市境から町田市に入ると道路は途端に狭い下り坂となり、昔懐かしい田舎道の風景に変貌する。田舎道からは更に小山田の里道がいくつも分岐しているのであるが、これらの里道は芳賀善次郎氏の著書「武蔵野の万葉を歩く」によれば、古代、防人達が北九州へ向って辿った道筋の一 つだという。(この項つづく)
2025-01-14 08:42
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