SSブログ

詩人の本棚 №1 [文芸美術の森]

南蛮情緒の詩人・医師木下杢太郎     

            高松力平

木下杢太郎(1885-1945)本名・大田正男は、静岡県賀茂郡湯川村(現・伊東市)の雑貨問屋「米惣」の7人兄弟の末子に生まれた。(生家は伊東市最古の民家として杢太郎記念館となっている)
小学校を終えると、医者をめざして上京。独逸学協会学校(現・獨協大学の源流)に進みドイツ語を学ぶ。その後第一高等学校を経て東京帝国大学医科大学を卒業して医師となる。
大正10年(1921年)から4年間フランスに留学して、太田-ランゲロン分類と呼ばれる真菌の分類法を確立。その功績により、後にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与された。

与謝野晶子は雑誌『明星』で杢太郎を評している。

  木下さんは一方に科学者である、医学博士である、大学教授である。病院では皮膚科  の専門医である、一方に画家である、戯曲家、詩人、小説家である。また一方で考証  家、批評家、支那学者である。また一方に独、英、支那の各国語に通じてゐる人であ  る。該博な人には浅薄の非難の伴ふものであるけれども、木下さんには其れが無い。  何事にも真面目であり、入念であり、研究心が深く、情熱が行き亘るのである。氏の  知識も趣味も殆ど際涯がない程に広い。

杢太郎は「自我独創の詩を楽む」と与謝野鉄幹の主菜する新詩社に加盟詩、新しい詩作にも励んだ。その仲間には与謝野晶子、高村光太郎、石川啄木、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、佐藤春夫などがいた。
この頃、森鴎外が自宅の観潮楼で開いていた歌会にもよく出席し、鴎外を終生「先生」と慕った。

木下杢太郎は詩人・北原白秋、長田秀雄、吉井勇らと、画家・石井柏亭(主宰)、山本鼎、森田恒友、倉田白羊と語りあおうと「パンの会」を結成、その世話役となった。
「パンの会」は隅田川をパリのセーヌ川に見立てて宴をはっていた。杢太郎は書き記している。

 「築地の渡し」序
築地の渡しより明石町に出づれば、あなたの岸には月島また佃島、燈(ともしび)ところどころ。実(げ)に夜の川口の眺めはパンの会勃興(ぼっこう)当時の芸術的感興の源(みなもと)にてありき。永代橋を渡っての袂(たもと)に、その頃永代亭となん呼べる西洋料理屋ありき。その2階の窓より眺むるに,春宵(しゅんしょう)の宵(よい)などには川の面鍍金(おもてめっき)したるが如(ごと)く銀白(ぎんぱく)に月影往々(つきかげおうおう)そが上に澰灔(れんえん)の光を流しぬ。斯(か)かる時しもあれや,一艘(いっそう)の小さき舟ぞ来(きた)る……
 
 房州通(ぼうしゅうかよ)ひか、伊豆ゆきか。
 笛が聞える,あの笛が、
 渡しわたれば佃島(つくだじま)。
 メトロポオルの燈(ひ)が見える。

当時、築地にあったアメリカ公使館の跡にちいさいながら洒落たホテル・メトロポオルがあった。それは「パンの会」の象徴の一つだったのだ。
 「両国」
両国の橋の下へかかりゃ
大船(おおぶね)は橋を倒すよ、
やれやれそれ船頭が懸声(かけごえ)をするよ。
五月五日の肌に冷き河の風、
四ッ目から来る早船(はやぶね)の緩(ゆるや)かな艪拍子(ろびょうし)や、
牡丹(ぼたん)を染(そ)めた半纏(はんてん)の蝶蝶(ちょうちょう)が波にもまるる。
灘(なだ)の美酒(びしゅ),菊正宗、
薄玻璃(うすはり)の杯(さかずき)へなつかしい香(か)を盛って
西洋料理舗の二階から
ぼんやりとした入日空(いりひぞら)、
夢の国技館の園屋根(まるやね)こえて
遠く飛ぶ鳥の,夕鳥(ゆうどり)の影を見れば
なぜか心のみだるる。

「お花さん」
            その家の女中物に躓(つまづ)きて手なる盤(さら)を落としければ

深川の西洋料理の二階から
お花さんがまた大川(おおかわ)を眺めてるよ。
入り日(いりひ)の影は悲しかろ、
細い汽笛も鳴いて来る。
お前がひとり悲しんだとて,嘆(なげ)けばとて、
つふれた家は立ちません。
あんまり何(なに)して粗相(そそう)はしまいこと。
杢太郎の時代の横浜には,居留地の異国情緒が残っていた。外人舘にはそれぞれ何番舘という呼び名がついていた。ハイカラという言葉が生きていた。 今もそうだけれど、港には外国船が停泊していた。 

  『異人館遠望の曲』の序
  桜の花の間から紅(あか)い煉瓦(れんが)の異人館が見える。

    いま落日は金色にくわっとばかりに居留地の
    屋根といふ屋根、窗(まと゜)のびいどろ、
    また『コンシュル舘』 三階の望楼(ものみ)の上の米利堅(メリケン)の
    赤の号旗(ふらふ)に降りそそぐ
    沖の蒸気に降りそそぐ。
    また彼方(かなた)なる亜墨利加(アメリカ)の三十三番『ウエンリイド館』
    黄金(こがね)の獅子(しし)の招牌(かんばん)のペンキ軒に降りそそぐ。
    花を置きたる窗(まと゜)の欄干(てすり)に、異人なれども懐しや、
    まだ年若き英吉利斯人(エゲレスひと)は、口笛の
    悲しき節(ふし)に歌うたふ。
    商館(しょうかん)の奥より漏(も)るるおるごるの曲に合(あ)わせて歌うたふ。(以下略)
    
「珈琲」

今しがた
啜(すす)って置いた
MOKAのにほひがまだ何処(どこ)やらに
残りいるゆえうら悲(がな)し。
曇った空に
時時(ときどき)は雨さへけぶる五月の夜の冷(ひやこ)さに
黄(き)いろくにじむ華電気(はなでんき)、
酒宴(しゅえん)のあとの雑談の
やや狂(くる)ほしき情操(じょうそう)の、
さりとて別に是(これ)といふ故(ゆえ)もなけれど
うら懐しく
何となく古き恋など語(かた)らまほしく、
凝(じっ)としているけだるさに、
当(あ)てもなく見入れば白き食卓の
磁(じ)の花瓶(はながめ)にほのぼのと薄紅(うすくれない)の牡丹(ぼたん)の花。
珈琲(かふぇ) 珈琲 苦い珈琲。


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。