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海の見る夢 №89 [雑木林の四季]

    海の見る夢
         -北極星を仰ぐー
                  澁澤京子

 ・・どのイチジクを選んだらいいのか決められないのだ。あれもこれも欲しくて、一つを選んでしまったら、残りすべてを失うと思っている。そうして決められずにいたら、イチジクにしわが寄って黒くなり、ひとつ、またひとつと足元の地面に落ちていった。
                      『ベル・ジャー』シルヴィア・プラス

両親が旅行に出かけていて、仲のいい友人Sが泊まりに来ていたお正月のことだった。Sと二人で朝寝坊してダラダラと「新春かくし芸大会」で芸能人が綱渡り芸を披露するのを見ているうちに、ポテトチップを食べていたSが突然、「ああ、もしも神様が命じてくれたら、私は綱渡りでもなんでも命がけで練習するのに・・」とつぶやいたのをよく覚えているのは、私も共感したからだ。当時、学生だった私は、一体自分に何ができるのか、何を目指したらいいのかわからなかったのである。留学から帰ってきたSは英語がペラペラの成績優秀な才媛だったが、それでも進路に行き悩んでいた。その頃の私は、音楽の才能があるとか、舞踊の才能があるとか、早くに進路の決まっている人びとを羨ましく思う一方で、何かしたいのに何をしたらいいのかわからないという焦燥感を、Sと同じように常に抱えていたのである。

渡り鳥には謎が多く、彼らが一万キロ以上もの長い旅を、どのように間違えずに飛翔できるのか、解明されていないことがまだ多く残されているらしい。耳の奥にある壺嚢によって地球の回転や磁気を捉え、緯度と経度を感知するという説もあるし、太陽コンパスや星座コンパスによって、鳥が自分の位置を知るという説もある、あるいは季節風をうまく利用するとか、渡り鳥について調べていると生物と地球、物理の法則が非常に関係が深いことがわかってとても面白い。鳥は群れで飛ぶが、鳥には支配被支配の関係がなくボスもいないので、各自のセンサーを頼りに行動して見事に統制がとれるらしい。スキャンダルに飛びつき物事の本質を見失い、プロパガンダに騙されて間違った方向に流されてゆく人々の集団行動とはわけが違うのである。今の日本には部下の告発を平気で踏みにじるような独裁者を、大衆が大歓声で迎えるようなファシズムな空気が蔓延していることにとても危機感を持っているが・・また、今の地球温暖化、風力発電の装置や、乱立する高層ビル群が、野生の鳥類のセンサーに悪影響をあたえているみたいで、人よりもずっと自然環境に依存している鳥類にとっても、今はとても苛酷な時代なのだろう。~参照『渡り鳥の世界』中村司

今、10代20代の若い世代に、シルヴィア・プラス(1932~1963)がよく読まれているらしい。早くから詩の才能を認められながらもうつ病によって31歳で自殺したシルヴィア・プラス。『ベル・ジャー』では、パーティに明け暮れるニューヨークの華やかな生活の中で、若い女が自分の目指す方向を見失い、精神が次第に崩壊していく様がリアルに描かれていて、彼女の方向感覚を失った感じが、今の若い子にとって共感できるのはなんだかとてもわかる。そうした閉塞感は、特に日本や欧米のような先進国に顕著な重い空気なのかもしれない。そして、彼女が育ったのは、ちょうどナチス・ファシズムが台頭する時代の、家父長的、保守的な重い空気の中だった。閉塞感の中で方向性を見失えば判断を見誤り、人々は容易に、より声高なプロパガンダに巻き込まれてゆくのである。(それがゴシップのような低劣なものであればあるほど)

鳥の知覚機能が、星座や太陽コンパス、磁場とつながっているように、人はどうしてもその時代の空気の影響を受けてしまう。トランプが再選された今、デマや陰謀論に引っ掛かる短絡的な人間、あるいは(改革に見せかけた)自己保身のためには平気で人を踏みにじる冷酷な人間が今後もますます増えてゆくような気がする。(今、中国でも反日デマや陰謀論に飛びつく人が増加しているらしい・・)
昔、丸山真男のエッセイで「学問は北極星のようなものだ、決して解答を与えてくれるわけではないが、少なくとも人の行くべき方向を照らしてくれる。」うろ覚えだが、そういった内容のものを読んで、とても感動した事があった。果てしない海の上を夜間飛行する鳥たちにとって星座のコンパスが重要であるように、人にはそれぞれの道を照らしてくれる北極星が必要なんじゃないかと思う。鳥が太陽・星座コンパスを指針とするように、人の場合はさしずめ「良心」が鳥のコンパスにあたるだろう。決して物事を見誤らないのは、世間体を気にしたりトレンドに流されやすい表層的なエゴではなく、人の心の奥底にある倫理的なセンサーであり、他人に対する共感能力だけだろう。人の品性というのはその人の倫理センスに正比例するものだと思う。(ルールとモラルは違う。ルールとモラルの間には、見せかけだけ上品ぶるのと本当に上品であることの違いくらいの大きな隔たりがある)

人を導く北極星、それは決して学問だけに限らないだろう、尊敬する人でもいいし、理想でもいい、あるいは自分にとっての大切な言葉でもなんでもいい。自分の北極星を持つ人は、どんな状況にあっても方向を見失うことがないのに違いない。



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