地球千鳥足Ⅱ №57 [雑木林の四季]
奔放の旅 1
小川地球村塾村長 小川律昭
小川地球村塾村長 小川律昭
海外に出かける日本人の九〇%は、観光旅行を楽しむ人たちである。諸誌上にユニークな旅行記があふれているが、異文化を体験することが豊かな人間性の発展や個人のグローバル化に役立てば幸いである。
私が個人旅行を始めて二十五年になる。その間何十回税関を出入りしたか定かでない。最初の旅は家族四人でヨーロッパ・ツアーに参加、その後見知らぬ文化を見聞きすることが中毒のようになっていき、夫婦単位やリュックを背負っての単身旅行へと、年齢とともに経費は少なく体験は多く、という現在のバック・パッカー・スタイルに至っている。
よく「どの国に魅力を感じましたか」と聞かれるが、その時の気分により感じ方も変わるもので、印象に残る国は気ままに試行錯誤し、豊富な体験をした国と言える。物見遊山中心で説明を受けるばかりの旅は、きれいだなあ、素晴らしかったなあ、という程度、後になってみれば何も残っていない。ツアーで行った香港やナポリの夜景、ニュージーランドのフィヨルドなとはその例だ。みずからの決断と行動で体験したことは何年たっても記憶に新しく、気持ちを奮い立たせてくれる。できたら個人で、あるいは友人や夫婦での気ままな旅を推薦したい。限られた日程と予算で出かける以上、心に残る旅であってほしい。みずからの目的や好みに合った個性的な旅が、より余韻が残ると思うのだ。
では私の旅の一部を紹介しよう。キリマンジャロ登頂を試みた時、多くの費用を投じてアフリカくんだりまで来て、何故こんなに苦しまなければならないか自問自答した。零下七度、海抜五七〇〇メートルの登頂途上で、目の前は二〇センチの積雪と吹雪、吐き気、頭痛、疲労に悩まされたあの状況は忘れられない。
スコットランドのネス湖では、一月の雨の中観光客は私だけ。湖のほとりの崩れた古城内で雨をしのぐ場所もなく、離れたところの便所ですくんだ。だが暖房はあっても特殊な臭いつきだった。早く退散しようとバス停に行ってみたが、なお九十分の待ち時間。うろうろするうち親切な老人夫婦の車に拾われ、サンドイッチまでいただきほっとした。
韓国の日本海側海水浴場でのこと。往きはよいよい、帰りはこわい。タクシーで鉄条網で隔離された砂浜に来た。海を楽しみ、食事をとり、夕方帰ろうとして交通の便のないことに気づいた。なんとか最寄りのバス停まで、と乗り物をさがしたが何もない。汗だくで待つことしばし。最後の手段と、通りがかりのお兄ちゃんのオートバイに相乗りさせてもらった。生まれて初めての後部座席で、片手を彼の腰に、片手で鞄をおさえて、振り落とされまいと生きた心地がしなかったが、乗り心地は別として心は感謝でいっぱいだった。
落語の「ときそば」もどきの出来事があったのは、ルーマニアの首都ブカレスト。空港から市内までタクシーに乗り、小銭がなくて二倍しぼりとられたので帰りはきっちり支払うべく両替をした。道路で「マネー・チェンジ⊥と声をかけられたのを幸い、一応用心してホテルのロビーに呼び込んで五〇ドルを渡した。一〇ドル、二〇ドル、と三〇ドルまで一枚ずつ私の手に渡したが、その時別の二人の男が何か尋問してきた。そちらに注意を奪われた瞬間、チェンジ中の男、とっさに私の手から三〇ドルをもぎ取り、折りたたんだドル紙幣を一枚握らせてくれた。五〇ドル紙幣を返却してくれたと思い、尋問してきた相手と対応、何となくその紙幣を開いたら一ドル紙幣。騙されたと気づいた時には相手は消えていた。尋問者たちはグルだった.。怒鳴り、追いかけたがあとの祭り。知能犯はどこにもいるものだ。
ワイフと二人でインド最南端のコモリン岬へ。ボンベイ、マドラス、マドライと経由、日本での予約はすべて通用せず、ウェイティングでやっと取得したチケットで飛行機、夜行列車、夜行急行バスと乗り継いでの地を這うような過酷な旅だった。列車内で蚊取り線香を焚いたのも初めてなら、バスの出発を待たせての野天でのトイレも記憶に残るもの。だが、アラビア海から昇ってベンガル湾に沈む太陽を同じ地で眺められたその感動と神々しさは、一生脳裡に焼き付いて離れないことだろう。
これもワイフと二人旅だったが、オーストリアはウィーンで。ハンガリー、ブタペスト行きのツアーがあることを知り、それなら個人でも行けると判断、特急列車でブタペストに向かった。だが国境の検問で我々だけ降ろされた。ビザがないからだった。駅員にある運転手を紹介され、いちかばちかと彼に賭けてみたら彼の案内でビザを取得出来た。親切な運転手のおかげで、一時間遅れの列車でブタペストに到着した。
駅では、客引き小父さんに合意してトロリーと路線バスを乗り継いで古ぼけたアパートの三階へ行った。部屋もベッドもなま暖かい。住人は暮らしが大変なので客さえあれば急遽住まいを貸し、知人宅に世話になるのだ。夜万一何かあっても言葉はしゃべれないし、どうすることも出来ないだろうと結局断って改めてホテルを探した。
『万年青年のための予防医学』 文芸社
駅では、客引き小父さんに合意してトロリーと路線バスを乗り継いで古ぼけたアパートの三階へ行った。部屋もベッドもなま暖かい。住人は暮らしが大変なので客さえあれば急遽住まいを貸し、知人宅に世話になるのだ。夜万一何かあっても言葉はしゃべれないし、どうすることも出来ないだろうと結局断って改めてホテルを探した。
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2024-11-14 15:45
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