西洋美術研究家が語る「日本美術は面白い!」 №140 [文芸美術の森]
シリーズ:江戸・洋風画の先駆者たち
~司馬江漢と亜欧堂田善~
第9回
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
「亜欧堂(あおうどう)田(でん)善(ぜん)」 その3
亜欧堂田善の制作した「銅版画」は、現在、90点ほど残っています。その中から、今回と次回は、江戸を舞台に描いた、どこかシュールな感じがただよう、面白い江戸の情景をいくつか紹介します。
≪どこかシュールな江戸の情景≫
上図は「ミツマタノケイ」とカタカナで記された画題の銅版画。「三俣」は隅田川の中州で、はるか遠くに描かれています。
構図的には、この絵は見事な遠近法で描かれていますが、私達は先ず、近景右手に描かれた「二人の女性」に目を奪われます。
右の女性は洗濯物を干そうとしている。浮世絵の美人画風の趣きが・・・
その左に立つ女性は、タライを手に持ち、洗い立ての髪を風になびかせている。この女は胸をあらわにしており、風になびいてばらばらに乱れる長い髪も妖しい気配を漂わす。右の女性を見て、にんまりと笑っているようで、西洋の絵に出てくる「魔女」のようにも見えてしまう。この奇妙な組み合わせが、非現実的な感覚をもたらす。
よく見ると、左下の影の中には「一人の男」が座り込んで、女たちを見つめている。暗い陰に沈んで、女たちを「窃視」(せっし)しているように見える。それがまた、この絵に妖しさをもたらしている。(下図)
日陰の部分には、縦・横・斜め、太い・細いといった無数の線が交錯して、繊細な濃淡のグラデーションが生まれています。
図全体では正確な遠近法を使いながらも、空に流れる雲、女たちのうしろにある木の幹などの描写は現実離れしていて、それが、すらりと引き伸ばされた女たちの身体の浮遊感とあいまって、田善がたんなるリアリズム追求の画家でないことを示している。このような不思議にシュールな味わいが、田善版画の持ち味ともなっています。
もうひとつ、田善が文化年間に制作した連作『銅版画東都名所図』全25点の中から「吉原大門図」を見ましょう。
このシリーズは、やや小型のサイズながら、多様な視点と多彩な描法によって江戸の町を活写した傑作とされ、「小型江戸名所図」とも呼ばれて「重文」に指定されています。
この絵は、吉原遊郭の正面入り口である「大門」(おおもん)から、メインストリートの「仲之町」を眺めた図。正確な遠近法で描かれる。
時刻は日没時か。これから夜を迎える遊郭は、たくさんの人々で活気づいている。通りの奥に輝くのは「夕日」ですが、光線を放射状に放つ太陽の描写がきわめて斬新。
人物たちの描写もひとりひとり面白く、彫りと摺りの技術も高い水準に達している。
初期には、西洋銅版画の影響が強かった田善の銅版画も、今や、大きな飛躍を遂げていることが分かります。
次回もまた、亜欧堂田善の制作した「銅版画」を紹介します。
(次号に続く)
2024-11-14 15:55
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