浅草風土記 №38 [文芸美術の森]
夏と町と 不動様 2
作家・俳人 久保田万太郎
作家・俳人 久保田万太郎
三
そのうちにだんだん俳壇というものの存在することも分り、そこにどういう分野があるということもそれからそれと分って来ました。……となると自然、その金鍔やの会の性質もはッきりして来たので、でなくっても愛想のつきているところ、生意気ざかりだからたまりません、第一景物なんぞ附くのが間違っている、さんざそれまで自分たちの稼いで来たのを忘れて、たちまちわれわれ態度をはッきりさせました。ふッつりそうしてみれんけなく縁は切ったものの、でもあれで、一年半は通いましたろうか?――勿論その間一卜月も欠かさず――深川座の立見をしたのもいえば其一年半のそのあいだのことに属するので。……
それが六月だったか七月だったかはわすれましたが、かなりもう暑くなった時分で、日の暮れることの遅く、いつまでも日のカンカンあかるかった時分ということだけはたしかです。なぜなら六時という定刻の、どうかした工合で三十分も早く会場へ着いてしまい、幹事さえまだ来ていないのにきまりをわるくしていそいでまた外へ出、時間つぶしにあてもなく方々ほッつきあるいたので……でもなかなかつぶれません。同時にまたそうなるとそうよけい空のめげない真ッ光が気になります。 ――たまたまそのとき通りかかったのが深川座のまえ‥‥う。‥‥‥ここへ入ればいい、すなわち出来ごころにふらふらとそのまま「立見」の札売場のまえに立ったので…‥
そのときやっていた狂言を何だとお思いになります? 黙阿弥の「処女評判善悪鑑(むすめひょうばんぜんあくかがみ)」。すばしりお熊だの雲切お六だの木鼠お吉だのの出るあの「白浪五人女」です。
――入るとちょうど「古寺」の、旅の女にすがたをかえたそれらの女賊が今五右衛門と名告る三枚目の山賊を取って押える幕のあいているところでした。意外に面白いので、つづけて後もう一ト幕、例の清元の「夕立」、「貸浴衣汗雷(かしゆかたあせのなるかみ)」の真野屋徳兵衛実は神道徳次と御殿女中竹川実はすばしりお熊との茶屋の二階での馴れそめのくだりをみ、ついでに次ぎの真野屋のゆすりを約半分……とはッきりそういってしまっては「ほんの一トまく覗いただけ」とまえにいったのがうそになりますが、とにかくそれだけみて時計の七時すぎたのに驚いていそいで外へ出ました。
――さすがにもう暮色は感じられるものの矢っ張まだ明るい。……折から上げ汐の、たッぴつにもりあがったの、つながれた大きな船の岸より高くたゆたに浮んでいる川のふちをあるいて、狭いその裏みちづたいに不動さまの境内……あのしずかな梅はやしの中へ入りました。――黄昏の、月の出汐の、人っ子一人通らない、うそのようにしずまり返ったそのけしきをいまなお灰かに夢のようにおぼえています。――「深川」というといまでもそのけしきがなつかしく眼に浮びます……。
そのときの深川座に出ていた役者ですか?――おぼえていますとも、ええ。――桃吉だの、栄升だの、喋昇だの。……桃吉は後に高麗三郎になり、栄升は後に莚十郎になり、喋昇は後に吉兵衛になりました……高麗三郎も吉兵衛も死にましたが、莚十郎はまだ達者で、去年左団次が露西亜へ「カブキ」をもって行ったあの一行のなかにも入っていたから不思議です。……
四
……その深川座はいま活動写真の小屋になりました。震災後、新富町の新富座がそうなったように、柳原の柳盛座こと中央劇場がそうなったように。
松竹直営、辰巳映画劇場。
半バラックの、簡素な、黄色い漆喰塗の建物の前面にそうした金文字のとりすました貌に輝いているのはいい、切符売場も、木戸口も、看板も、用捨なく地上げをした前っ側の往来の底に半ばトボンと落ちこんでいます。――そのシガをよく両っ側にならんだ植木屋の夜店の荷がかくしています。その荷がまたさつきばかり、白い花をもったさつきつつじばかり。……朝からふったり止んだりの、梅雨の取越しのようにはッきりしない空、暗い、じめじめした空気のなかにいかにそのもり上った白い花のいろの哀しくめだたしいことよ。――いえば、それはすぐそのそぼに出来たばかりの富岡橋……石の、幅の広い、水いろにやさしく塗られた欄干をもった橋のたもとに高々とともるであろう灯。やがてもうともりそめるであろう静かな灯影ばかりを偏えにたのんでいるといった光景。――ーつには人通りの以前にかわらず少ないことが、ゆくりなくそうした空しさを感じさせたのかも知れません。時計をみると五時をまだ十分はどすぎたばかり。……暗くなるにはまだ手間がかかります……
深川座の講釈ですっかり道草をくってしまいましたが、その日その深川へ足をふみ入れたそもそもの目的は何年にもこころみ損って来た不動さまの縁日の光景をみようというのにありました。なればこそ薫朔さんと銀座から乗った円タクを黒江町で下りました。そこからぶらぶら人出の中を不動さまの表門までたどりつこうというはじめの目算。……その目算を自分から外して、途中、門前仲町の交番の角を急に左へ切れたのは……そうだ、深川座というものがあったッけ、とッさにそうさもしい料簡を起したというものが前にいったあの裏道つたい。……折から上げ汐の、たッぴつにもり上った水の、つながれた大きな船の岸より高くたゆたに浮んでいたあの川ぞいのけしきが果していまどうなっているだろう、どう変ってしまったろう?……そう思ったのに外ならないので……
勿論富岡橋なんぞというものの出来た位です。延いてその両岸の道も高くなれば、積まれたその石崖の手人の行きとどいたこともいうをまちません。これではもういくらしても岸より高く船のもり上りッこありません。ただその辰巳映画劇場のまえの往来なみにそこもまた矢っ張、人通りの以前にかあらず少ないことが……少ないというよりここでは全くそれのないことが、黄昏の、月の出汐の、二十余年まえのあのそういってもヒッソリした古いけしきをはッきりなお感じさせます。
「こんなとこに住んだら誰からも探しだされまい。」
たまたまそこに、水に臨んで、二けんならんで立てられた貸家……二けんともまだふさがっていない中古の二階家をみ上げて、ふッとわたくし、そうしたことを思いました。
が、そこを、ート足その不動さまの境内に入ったとき………
『浅草風土記』 中公文庫
『浅草風土記』 中公文庫
2024-11-14 15:54
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