夕焼け小焼け №47 [ふるさと立川・多摩・武蔵]
プラークの栗並木の下で 2
鈴木茂夫
5月20日。本番の日が来た。大隈講堂に看板をだした。
鈴木茂夫
5月20日。本番の日が来た。大隈講堂に看板をだした。
座席には大勢の若い観客が座っている。
開幕のベルが鳴った。私は舞台の袖にいた。私は感動していた。その感動の根源は,私が舞台に立っているのか、舞台に立っているマチェクの私なのか。私は瞬時にして理解した。俳優はこの感動を体感する。この感動を体感するため、俳優は舞台に立つ。
私たちは客席から俳優を見る。つまり芝居を見るのだ。
私はマチェクに扮し、マチェクを演じているのか、私がマチェクになっているのか、それからが渾然として私を包んだ。
第三幕
ボジェーナ ユリー、ピアノの前に座って頂戴。
マチェク 何のために。
ボジェーナ 私歌うからこれをやって頂戴。(一本指でひく。マチェクはアコードを選ぶ。)
ボジェーナ いいえ、駄目だわ。よして。この方がいいわ。(マチェクに譜を渡す。マチェク弾く。ボジェー ナ 長い沈黙ののち歌い出す。)
プラーグの栗並木の下で
君と坐れば
栗の葉がヒラヒラと舞い落ちる
ものみなは過ぎゆき過ぎゆきて
語りし言葉
枯れ葉となり 川に落ち流れ行く
マチェク 私の最後の言葉です。あなたは明日私の妻にならなければなりません。 一日ものばすことはできま せ ん。
ボジェーナ (非常に静かに。疲れたように) ユリー、あなたには何もお解りにならなかったのね。私は決して あなたの妻にはなりません。
ボジェーナ (非常に静かに。疲れたように) ユリー、あなたには何もお解りにならなかったのね。私は決して あなたの妻にはなりません。
マチェク でもあなたは私の許嫁になることを承知なさったじゃありませんか。
ボジェーナ (静かに) それはドイツ軍のいた時のことよ。あの頃はまるで棺桶なかにひっそりしていて、私は もうどうでもよかったの。私はまたあなたを怒らせたのね、ごめんなさい。あなたの気を悪くしたく はなかったんだけど。(沈黙) ユリー,私は今までとは違うほかの世界を見たの。他の人間を、全然 別 の人間を。
マチェク どこで。コンセントレーション・キャンプで。
ボジェーナ そうなの。その時からなの。あなたとまるで別の人間。そしてもし私が別の世界の人で、あの人 達 の世界に入ることができないなら、あなたのそばで退屈して、あなたを苦しめるより、この戸の前 で 死んだ方がましなんです。私がどんなに話しているかおわかりでしょう。私の約束の言葉を私に 返して,私を許して下さいまし。ではさようなら。
マチェク あとで残念に思うようなことはありませんか。
ボジェーナ 決して
マチェク さようなら (退場)
私はピアノが弾けない。舞台に面したピアノの前に道具箱のようなものを置いた。宇野誠一郎君が私の前にかがみ手を伸ばして弾くと、宇野君の姿は観客には見えない。宇野君はピアノの鍵盤面をみないで弾いた。名人芸だ
幕が下り、見物席から拍手が聞こえてきた。舞台では、ひどくおごそかな静けさが支配していた。
純ちゃんが俺たちの歌を歌おうと叫んだ。
幕を上げ劇団員が全員並んだ。自由舞台の歌を歌う。
自由舞台 劇団歌
(「線路は続くよ」のメロディーで)
輝く太陽 大空に 自由の世界に さあ手に手をとって
行こうよ 共よ 足並みそろえて 明るい希望の 歌声に
どんなに辛く 苦しくても 大きな誇りと 喜びをもって
行こうよ 友よ 足並みそろえて 明るい希望の 歌声に
客席からも歌声が聞こえる。
私は自分が観客から弾かれたような気分になった。
私はもう演じなくていい。マチェクはいなくていいのだ。私からマチェクが消えて、そこには大きな空白が残っている。
「プラーグの栗並木の下」は終わった。公演は大成功だった。
私の演劇との関わりも終わった。演劇・映画の世界に入ることはない。自由舞台での体験は愉しく貴重だった。そして演出の仕事にも俳優にも、むいていないと分かった。
公演の後に
5月に『プラーグの栗並木の下で』の公演を終え、秋を迎えた。
2024-10-30 08:35
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