浅草風土記 №37 [文芸美術の森]
夏と町と
不動さま 1
作家・俳人 久保田万太郎
作家・俳人 久保田万太郎
一
深川座という劇場のあったことを御存じですか?
無論御存じの方もあれば御存じない方もあるだろうとおもいます。……いいえ、御存じ
ない方のほうがことによると多いかも知れないとおもいます。何せ古いことで、そのうえ
いたって場所の辺鄙なところ、本所深川以外に住んだ方たちには全く用のない場所だった
ろうとおもいますから。――というのは、そういうわたくしにして矢っ張、たった一度し
か……あとにもさきにもたった一度しか、足を入れた覚えがありませんので、……それも
立見、ほんの一トまく覗いた丈で、長い時間そのなかの空気を吸ったのではないので……
さアどの位になりましょう、いまから?――たしかあれは中学の三年……じゃアない、
四年……四年ですからいまをさるざっと二十一二年まえになります。年にして十八九……ちょうど俳句のおぼえはじめで、出来た三四人の仲間と一しょにヒマさえあれば「やかな」に憂身をやつしていた時分、ある日その仲間の二人が突然来て「運座へ行かないか、運座へ」とやや昂奪したさまにいったものです……
自分たちだけの間ではみんなもういッはしの作者のつもりで、何のかのとうるさいこと
この上なかったものの、かなしいかな、誰もまだ世間の、そんな気のきいた場所へ出たこ
とのあるものは一人もありません。そういう場所の存在することは知っていても、どうし
たらそういうところへ行けるのか、それさえはッきり分らないわれわれでした。――とは
いえ、勇気は、身うちにみちみちていました。――わけを聞いて、その仲間の一人の伯父
さんの始終行く会で、どうせお前たちが行ったって抜けッこはないが、もし行くんなら連
れて行ってやる。――そういうしだいと分ったとき異議なくわたくしは承知しました。で、
その晩、同人一同、轡をならべて出陣したのが深川の不動さまの境内の金鍔や……何とか
いう講茶屋の奥座敷で毎月開かれる或秋声会系の運座でした。
こまったことにその晩、われわれ一同、はじめてその他流試合に大へんな成績をあげま
した。五十人近くあつまったその晩の人たちをものの美事に蹴散らして、ふんだんにおの
おの景物の葉書をせしめました。その仲間の一人の伯父さんの驚きはいうまでもなく、一
座挙って、それこそ床の間のまえに居流れた有名な先生たちまでこの若い闖(ちん)入者の群の上に怪訝の眼をそそぎかけました。われわれの得意おもうべしです。――ということは、哀れにもそれが病みつきとなり、それからというもの、毎月欠かさず、どんな雨のふるときでも風の吹くときでも一同手を携えて出席しました。そうしてふんだんにいつも葉書を稼ぎました。さきの人たちにしたらどんなに苦々しく思ったでしょう。……だって、あなた、その連座へ来る人たちはそんな三十台から四十台の人たちばかり、その仲間の一人の伯父さんだの、いつもその床の間のまえに居流れる有名な先生たちだのにいたっては、みんな五十、六十という年配の人たちばかりだったんですから。・
二
けど、こっちは子供です、そんな頓着はありません。頓着ないばかりでなく、むしろそ
の大人たちの、下らない、他愛のない……一ト言でいって月並……月並すぎるほど月並な
のに間もなくあきれました。「いい年をして」と時には義憤をさえ感じました。――それ
が作られる旬のうえばかりでなく、席上での、そのあつまった色んな人たちのいったりし
たりすることがそれほどすべてわれわれに陳套(とう)な無知な感じを与えました。ですから、はじめ、勝手のよくまだ分らなかった時分には、われわれでも知っているようなことがことさらな問題になったり、だれでも、そんな本、読んでいるに違いないとおもわれるような本のどんなめずらしいものででもあるように評価されたりした場合、屡々われわれ、腑に落ちない眼をひそかにみ合せたことでした。
そのなかでいまだに一つ覚えていることがあります、「地芝居」という題の出たときで
すから秋時分のこと……九月か十月の会のときだったに違いありません。「地芝居や野風
に消ゆる面明り」という句が大へんに抜けました。勿論いい加減な句で、こういう句が抜けるんだから大ていお察しはねがえるとおもいますが、それよりも先生たちのなかの一人が文台のまえにいざそれを披講するとなったとき「野風に消ゆるおもあかり」……「つらあかり」といわないで「おもあかり」とこれを読んだものでした。
はじめのうちは誰も音なしくだまって聞いていましたが、あんまりその句が抜けている
んでとうとうたまらなくなったらしいその作者、「おもあかりじゃアありません、つらあ
かりで」と、遠くから大きな声で訂正しました。
「つらあかり?……」
急にそういわれて、先生、それがくせの眉をすこしひそめるようにして「おもあかりじ
ゃァいけませんか?」
「いけませんとも!」
――先生のその、にわかにそれを肯(うべな)いそうにないさまをみると、作者に代って、矢っ張その句を抜いたとおぼしい選者の一人が言下にそうはッきりいいました。「どこの国へ行ったってそんなおもあかりなんてものはありません。」
いかにも歯切れのいい言い方なのにみんな思わず声のほうをふり向きました。そこにい
たのはGというその会の定連の、代言人時代からの古い弁護士、あから顔の、白い髭をはやした老人で、平生いたって色ッぽい意気な句の好きな、そのくせ口のわるい、皮肉な、
始終酒の気をたやさないでいるという大江戸ッ子でした。
「では訂正いたします、『おもあかり』ではなく『つらあかり』――野風に消ゆるつらあ
かり……」
先生は相手が悪いとみてすぐにそういうことを聞きました。――が、表面はどこまでも
強情にひるまないかおをみせました。
けど、驚きました、われわれ。――驚いたというよりむしろ不思議な気がしました。――なぜならその先生-Sというその先生です、そもそも新派の俳句というものをうちたてた大先輩で子規さえある時代には兄事したことのあるという有名な先生です。博識を
以て天下に鳴っている先生です。その先生が面明りを知らない、中学生のわれわれでさえ
知っている簡単な劇場用語を知らない。……いいえ、うそにも知っていればそんな強情を
張るわけがありません……
『浅草風土記』 中公文庫
『浅草風土記』 中公文庫
2024-10-30 22:48
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