地球千鳥足Ⅱ №55 [雑木林の四季]
七十歳生きたということ
小川地球村塾村長 小川律昭
小川地球村塾村長 小川律昭
今は年金生活者である。そしてアメリカという異文化の中でほとんど一人暮しである。みずからを回顧する年でもないが社会と接することの少ない今、現在に至る過程を考えるようになった。七十歳といえば同時代に生きた同輩の約二〇%は、亡くなっているか、もしくは不自由な身体で苦悩の人生に耐えておられるのではなかろうか。もちろん、隆々と現役で働いている人たちもいる。その中で仕事はせず、まずは元気で生きながらえている自分は何者なのだ。
古い表現だが穀潰(ごくつぶ)し、だ。お役に立つことは何もしないで自己管理に追われている暮らしであり、なにも不足がないのは幸せな部類に属している、ということだろう。
かえりみるに衣食住に関しては大した苦労や心労もなく順調な暮らしであったと思う。住についてのみ、時代を先取りしたつもり。三十二歳で一〇・二五坪の馬小屋のような住宅から出発し、五十歳で二軒目に移った。三軒家を建てて初めて理想の住まいになる、といわれるが、アメリカでは古い家を求めた。事故後、改装したのだが、それなりの経験は得られた。衣類は今でも少ない方だろう。欲しがらない主義もあるが生活の犠牲になったともいえる。食は、ワイフの料理能力と経済的事情で食べさせられたようなもの。生活の安定はもちろんワイフの協力があったからこそ、と言える。
結婚して十年間は経済的に大変だったが、もう子供たちも独立した。それぞれの生活で精一杯のようだが、親からの援助を求めてはいない。充分にしてやっていないので何かの折には手伝いたいと思っているが、自分が親から受けた以上に義務は果たしたはずだ。それも当然で時代がそうさせただけ。私は家族のための生命保険は掛けなかったが、四十年近く健康で来られたのは運にも恵まれたからだ。ワイフも自分の目標を失うことなく、社会との関わり合いを持ちつつ自分の人生を構築した努力家だ。六十歳でディグリー社会のアメリカでドクターを取得、好きだった学問に関わる人生を楽しんでいる。ワイフも大病でもしない限り一人で充分にやっていける自信があるはずだ。もう家族について今後は心配しなくてもよいだろう。
運よく国の経済成長にのっかったサラリーマン人生だった。大過なくこられたのはリスクを試みず、時代や会社の意向に逆らうことなく、流されるまま平々凡々の人生を過ごしたからだろう。その結果として世間並みの生活が維持出来たのだと述懐出来る。親戚付き合いは可もなく不可もないといったところか。まあ付き合いさせていただいた方だろう。我が家族だけが東京生活、よく田舎の鳥取県に通ったものだ。
無趣味でとり柄のない生活の中で二十年来旅だけはした。三か月の船旅にも参加した。いつでも何処にでも一人で旅が出来るのだ、と思うだけで解放感がある。が、差し当たり行きたいところもない。たまに緊張感と解放感を味わいに出かければよい、と思うようになった。
これからは社会への還元に関心がある。熟年海外協力隊の派遣員として貧しい国で働きたい。人間、年齢ではないことを立証したいからである。
(二〇〇二年六月)
『万年青年のための予防医学』 春秋社
『万年青年のための予防医学』 春秋社
2024-10-14 08:33
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