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美味懐古 №2 [雑木林の四季]

いそむら

                         加茂史也

前説・世の中の移り変わりに消えていった店がある。1950年代から1970年にかけ東京に
   あった店。今も憶えている店。そんな店を心の内に訪ねてみた。

いそむらは、TBSの局舎から赤坂の一ツ木通りへ出る坂道をおりると、すぐ左手のビルの地下にある。それほど広くはないが20卓は用意されている。 黒い色で家具も調度も統一されている。 
初めて入ったとき肉を勧められた。 ビーフ・ステーキは美味だった。  
 「 肉の選択には気を使っています」 
  好感の持てる支配人の一言だった。それでここではもっぱら肉を食べることになった。 
事件だの事故が発生すると、徹夜仕事になることがある。そんな時、私は配られる弁当を食べていると、しっかり寮があるから、腹にもたれて気分が悪くなる。そこでいそむらの肉を食べることを思いついた。
贅沢なことだとは思ったが、体調の維持には変えられない。飯時にそっと職場を抜け出し、いそむらへ行く。250グラムのステーキを注文する。ゆっくりとよく噛む。パンもほとんど食べない。お腹は空いてくるのだが胃もたれはない。
3年に1度、参議院議員選挙がある。選挙速報には、投票日から選挙確定まで3日間の不眠不休が続く。これもステーキで間に合わせる。
いそむらは行きつけの店の一つになっていた。

1964年(昭和39年)10月10日。
晴れ渡った国立競技場に94か国、7,060人の選手団が参加し、東京オリンピックの開会式が開かれた。NHK,日本テレビ,TBS,.フジテレビ、NET(現・テレビ朝日)の東京5局はこぞって放送した。15日間に及ぶ協議の幕開けだ。日本中が沸き立っている                                             テレビ各局はは全力でこれに取り組んでいる。TBSも30人のチームを編成し太。私は特定のスポーツによらず、遊軍として随時必要な時にしごとをすると言われていた。

10月20日。
オリンピックデスクが、
「体操競技が面白い。女子体操の決勝の日だから、ゴールドメダリストを連れてきて」 
私は千駄ヶ谷の東京都体育館に出かけた。観客席は満員、熱気がこもっていた。
女子個人総合では、ソビエト連邦のラリサ・ラチニナとチェコスロバキアのベラ・チャスラフスカの一騎討ちだ。息詰まるような2人の演技だ。赤い体操着のチャスラフスカの優美な演技が優っていた。 4つの金メダルを手にしたのだ。

私は楽屋へ急いだ。 着替えを終えたチャスラフスカがいた。ロシア語で。 
「チャスラフスカさん、優勝おめでとう。僕のところテレビに出て欲しい]  
「ええいいわ」   
スタジオで彼女はにこやかに喜びを語った。  
「 お疲れ様でした。食事に行きましょう]  
私たちはいそむらの席に座った。 
「私をベラと呼んでちょうだい。それからあなたは英語を話せるの。ロシア語を話すのはあまり好きじゃない」 
 
それはチェコ人の気概を示す一言だった。英語が弾んだ。
ベラは喜んでビーフステーキを食べた。よく食べる。 
ベラは生まれ育ったプラハの街と生い立ちを語った。伸びやかな22歳の女性の顔だった。  
それから……
1968年のチェコの民主化運動プラハの春を支持した。1989年、チェコの共産党政権が崩壊して崩壊した後、チェコの オリンピック委員会の委員長を務めた。 1998年に国際体操殿堂入りした。2016年、74年の生涯を終えた。
あのいそむらの一夜は忘れられない。

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