多摩のむかし道と伝説の旅 №134 [ふるさと立川・多摩・武蔵]
多摩のむかし道と伝説の旅(№30)
−⼆ヶ領⽤⽔⽔辺の道を⾏く−5
原田環爾
[Ⅲ]宿河原⽤⽔の本流合流点から川崎堀へ 2



再び円筒分水に戻り、これより川崎堀に沿って東へ向かう。川崎堀に入って間もなく堀に架かる小橋がある。そ
こ小橋で右手の路地に入ると、津田山山麓に浄元寺という日蓮宗の寺が佇んでいる。こじんまりした境内に本堂、日蓮上人像、瓦塔のほか、大きな大黒天の石像などがある。山号を秋興山と号す。創建年代は不詳であるが、開山は日應上人で、池上本門寺の末寺という。江戸時代までは毘沙門天と弁財天を祀る赤城社(現久地神社)の別当寺だったが、明治の神仏分離によって赤城社は久地神社に改称し、祭神であった毘沙門天と弁財天は浄元寺に写された。


更に川崎堀に沿って進むと程なく激しく車両の行き交う厚木街道(国道246号線)に 出る。堀は一旦暗渠となるが、陸橋で街道を渡り溝口に入ると再び開渠となって姿を現す。水辺の道は両岸とも広く伸びやかである。法泉坊橋を過ぎると次は濱田橋の袂に来る。濱田という橋名は
陶芸家の濱田庄司に由来するという。濱田庄司は明治27年溝口生まれ。英国人バーナードリーチと共に陶芸に目覚め、栃木県益子で作陶に入り、益子焼を芸術にまで高めた。昭和30年人間国宝に、昭和43年文化勲章を受章した。

次いで西浦橋をやり過ごすと大石橋に出る。親柱にはコンクリート製ながら石灯籠を備えた風格のある橋になっている。それもそのはず、大石橋の通りは江戸時代に大山参詣で賑わった大山街道なのだ。しかもこの界隈は街道の宿場があった所で、橋の北詰には宿場を管理する問屋場があった。また大石橋から北へ50mも行った沿道左には大山街道の古びた石の道標が立ち、そこに「大山街道ふるさと館」がある。

これより終着点溝の口駅へ向うが、その途中にある溝口神社に立ち寄ることにする。大 石橋から大山街道を南へ少し辿ると街道の右手に溝口の総鎮守溝口神社がある。溝口神社の創立年代は詳らかでない。江戸時代は毘沙門天と弁財天を祀り、神仏習合により溝口村の赤城大明神と称していた。明治維
新後、神仏分離の法により溝口村の総鎮守として新たに伊勢神宮より天照大神を主祭神に勧請し溝口神社と改称した。安産、子育て、縁結び、家内安全のご利益があり、参拝客で賑わう神社である。

溝口神社を後に大山街道から離れると、すぐ目の前が終着点東急田園都市線溝の口駅であり、かつ南武線の武蔵溝ノ口駅でもある。(完)
2024-10-14 08:28
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