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住宅団地 記憶と再生 №44 [雑木林の四季]

Ⅵ 武蔵野線町団地(武蔵野緑町パークタウン)
 
     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

住民案を提示して公団案に修正せまる

 公団の事業説明会は1991年10月19~25日に4回ひらかれた。居住者からはきびしい意見や質問、全面ではなく一部住棟の建て替え、既存住宅の残存、増改築、プランの修正をもとめる要求等が出されたが、まともに答えず、公団は事業上の手続きとしてまったく事務的にすすめた。説明会後は公団が居住者各個に賃貸借契約の切り替えをもとめる段階に移るが、自治会は交渉が一定の前進をみるまで1年間はこれに応じないことを総会決議し公団に通告した。同時に、公団が発表した事業計画にたいし、住民案づくりへの参加を居住者に呼びかけ、「まちづくりプロジェクト」を発足させた。①樹木や雑草、鳥や虫を観察しマップに書きこみパネル展示するなどして、団地の土地と緑を守る「環境プロジェクト」、②うなぎの寝床型プランへの対案づくりに取り組む「間取りプロジェクト」、③団地生活の思い出や、建て替えにたいする不安、怒り、期待など居住者のさまざまな思いをつづる文集作成の「らくがき町倶楽部」の3プロジェクトである。「まちづくりプロジェクト」には若い母親たちの参加が目立ち、その輪は大きく広がっていった。
 公団の計画案にたいし、これに対抗する住民案の軸になるのは、住民一人ひとりに蓄えられた記憶を束ねて浮かびあがる団地の歴史であり、基本は環境と間取りのプロジェクトに参加した人たちがまとめた住民の願いである。これらをふまえ、1992年4月には専門家たちの協力をえて「土と縁とコミュニティを守る建て替え計画住民案」を作成した。自治会は住民案をしめしてこの4月から9月までの6か月間集中的に公団交渉をかさね、住民案の第2案を出すなどして公団案の見直しをもとめ、これには延藤らも参加した。大詰めの交渉にはおおぜいの住民がとり巻いた。10月に公団は当初計画について修正案を提起してきた。具体的には高層14階を12階とし、コミュニティに配慮して1棟ごとの戸数を60~80戸から平均46戸に減らし、広場をひろげ、東西にはしる緑道の拡幅、サクラ並木と小径の確保などである。計画戸数も60戸減らした。公団が説明会後に計画の一部にせよ自治会の要求を容れて修正した例はあまり聞かない。自治会の積極的かつ周到な提案とねばり強い交渉の成果である。延藤が「住民と公団のパートナーシップ方式」とまで評するほどに公団として稀有な対応であったといえよう。『10年間の歩み』を出したのも、稀有な評価をうけ、いくらかは胸を張れる結果となったからであろう。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂

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