地球千鳥足Ⅱ №54 [雑木林の四季]
人類の悲劇を表す橋
~ボスニア・ヘルツェゴビナ~
小川地球村塾塾長 小川彩子
とても美しい橋だった。その名はスタリ・モスト、紺碧の空にのびやかにアーチを描いていた。橋の弓なりの角度は最高。石畳の坂は登るのにちょっときついが、その足応えは初体験だ。長さ30メートル、高さ24メートル、幅4メートルほどの小さな石造アーチ橋の下にはネレトヴア川が流れ、川幅は狭い。白い橋とエメラルドの水のコントラストが美しい。暖かい時期には多くの若者が橋から川へダイブを楽しみ夏には競技会があるという。
人々は子どもの頃から流れへのダイブを楽しんで来たのだ。自己顕示欲の強い若者はダイブ・ショーという名で小銭を稼ぐ。なんと近年日本人の青年も飛び込み観光客や地元女性の賞賛を浴びたそうだ。
クロアチア側からネレトヴア川に沿ってバスが進み、ボスニア南部のモスタルに近づくにつれ山が迫り豊かな農村が現れる。この橋はオスマン帝国の置き土産で1566年に建造された。1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言を行い、クロアチア系住民、イスラム系住民、セルビア系住民による激しい抗争が繰り返され、1993年にこの美しい橋は破壊されたという。2004年にユネスコの援助で復元され2005年に世界遺産になったが、破壊前と寸分違わぬ美しい古橋になぜ復元できたのか。爆破で川に落ちた砕片を拾い尽くして利用し、438年前の美麗な橋に見事に復元したのだった。歩くと足元に16世紀の音が聞こえる。
破壊したのはクロアチア系民族主義者といわれるが、イスラム文化が標的になったのか。
「殺してやりたいほど憎い」という人々もいると聞いた。人種、宗教、文化がからむ民族間の乳轢は単這族の我々の理解を超える感情だろう。現在も川を挟んでクロアチア系とイスラム系の人が別々に居住するという。橋の裸には「93年を忘れるな⊥と小さな石碑がある。川の周辺のビル群にも痛々しい銃痕が無数に残っている。人類の悲劇の象徴である。資料館で見たこの橋の物語で特に印象に残ったのは2004年の復元時、拾い集めた砕片を並べ、最後の一枚を誇らしげに嵌め込んでいる職人の表情だった。橋への深い愛情がひしひしと伝わる笑顔だった。
橋の傍の売店でDVDを買ってきた。橋が爆破される瞬間は胸が痛む。砕片を拾い集める人々や橋職人、完成時の祝祭行事等、苦労して集めたフイルムを繋ぎ合わせただけの素朴なDVDだが、観るだけで心臓がドキドキするリアルな出来だ。爆破当時の恐怖と人々の悲しみが伝わってくる。なんとキャプションに1993年9月11日とある。9月11日の同時多発テロも9・11だった。チリのクーデターも9・11だった。単なる偶然だろうか?
緑の木々を背景にエメラルドの水面を跨いで映えるこの橋から突然一人の男性が観光客数人の前で飛んだ。背中からのダイブだ。なんと美しいフォーム! 全身に神経が行きわたっている。誰かが「ケナンさんだ⊥と叫んだ。身体を拭き、衣服を着け、上がって来るともちろん振手攻め、その観客の中からケナンさんは若い女性の手を振った。「貴女が好き!」と言ったようだったが、残念ながら女性は手を振りほどいた。民族が異なるのか。民族意識が恩讐の彼方に雲散霧消するのはいつの日だろうか。
美麗な橋、スタリ・モストが世界遺産に登録された理由は歴史的価値と民族融和の象徴(『デジタル大辞泉』より)としてだという。それはそれは美しいこの橋が民族の居住地を分け隔てず、人々の心を繋ぎ、笑顔を往来させ、民族融和の象徴になる日を願ってやまない。(旅の期間‥2011年 彩子)
『地球知恵織足』幻冬舎
2024-09-29 06:39
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