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美味懐古 №1 [雑木林の四季]

オテル・ド・ミクニ

          加茂史也

前説・世の中の移り変わりに消えていった店がある。1950年代から1970年にかけ東京にあった店。今も憶えている店。そんな店を心の内に訪ねてみた。

1985年(昭和60年)、東京・四ツ谷駅から徒歩で7分、四谷中学の西側の住宅地にオテル・ド・ミクニは開業した。木造二階建ての洋風一軒家だ。あたりの住宅となんの違和感もない。
私がここを初めて訪れたのは開業2年目の1986年の春先だった。
玄関先に白衣のオーナー三国清三が立っていた。独特の笑顔で、
「やあいらっしゃい。よく来てくれました」
  店内には大きな鏡 狭い店を広く見せる効果アールヌーボーを意識したような調度品薄ピンクのテーブルカバー 無駄のないサービス構成だ。
  ⒉階のバーで食前のコーヒーを頂く。

オーナー・シェフ三國清三さんの略歴
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテル、帝国ホテルで修行し、駐スイス日本大使館ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部料理長に就任。名だたる三ツ星で腕を磨き、1985年、オテル・ドゥ・ミクニを開店。2015年、日本人初となる仏レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ受章。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど、国際的に活躍。2013年、フランソワ・ラブレー大学より名誉博士号を授与される。
 「お客はなかなか集まらなかった。およそレストランがあるとは思えない場所だし、なにやら秘密めいた隠れ家の雰囲気もある。駐車場も無し。これじゃお客は来ないよという声も少なくなかった。なにくそと逆風に立ち向かって、奮起するのが僕の真骨頂だと絶対やってみせるお客様は絶対くると信じて料理に没頭することにした。……」 
                                 「僕はこんなものを食べてきた」-三国清三-

「今年(1986年)はバブル景気で日本中が沸いています。グルメブームに火がついて、店は連日満員です。……「 着飾ったゲストが次々と客席に着く。戦闘開始だ。その時の僕はきっと不動明王みたいに体中から火をふき上げ、動物のように方向しているのではないかと思う。自分を追い詰め、テンションを上げ。 注意を発する集中力で邁進する。  
                                  「僕はこんなものを食べてきた」-三国清三-

「私は昨年、30歳でこの店を開きました。私の初めての店です。ここで本格的に私の料理を展開します」
三国さんはそう前置きして、
「現代フレンチは10年単位で新たな波が生まれます。それに乗れず停滞していては、やがて飽きられ、衰退してしまう。自分らしさは守りながらも新しいことを取り入れていかなければ、ここまで続かなかったと思います」
                                      「僕はこんなものを食べてきた」-三国清三-

「 僕は北海道の漁村で漁師の子として育った。チーズどころか、ソースのケチャップもうちのだいどころにはなかった。家は貧しくて学校へ持って行く弁当は白いご飯だけだった。おやつは海辺に打ち上げられた貝であり。浜に打ち上げられているホヤをおやつ代わりによく食べていた。これで味覚を鍛えられた。ホヤは、苦み、甘味、酸味、しょっぱさという人間の4つの味覚をすべて感じられる唯一の食材で、小学3年生くらいまでに4つの味を知ると味覚が発達した。美味しいもの最高のものを作るためには、僕自身が食の喜び、食べる楽しさを知っていなければならない。料理の良き作り手は良き食べ手でもある。 お客様のために最高の美味を作り続け、その姿勢は変わらないが、同時に自分自身も最高の美味を堪能したい。研究の為でなく、純粋に食べる人になって食の喜びに浸りたい」
                                      「僕はこんなものを食べてきた」-三国清三-

「いつも、まだ誰もしていないことをし続けること。僕が故郷の北海道から、僕の母から受け継いだ、開拓者としての僕のマインドはこれからも変わることはない。そして僕が自分の道を拓いて歩き続けた結果を、社会の人たちに対して還元できるならば、こんな素晴らしいことはない。フロンティァとホスビタリティー.僕の永遠に変わることのないテーマだ.」
                         「ぼくの美味救新」-三国清三-

三国さんと語り合い、著書に眼を通し、出される料理を満喫した。
三国さんの調理の魔術に酔ってメニューの明細を記録するのを忘れた。

2022年12月末、三国さんは70歳を目前にして、37年にわたって愛されてきた「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店した。三国さんの新たな活躍の日を待ち望みたい。

風の便りにこの秋(2024年)、三国清三さんが、東京・四谷のオテル・ド・ミクニの跡地に新しいレストランを開くとか。客席は8人分の小さな店だと。三国さんが腕を揮うという。客が店を選ぶのではなく、三国さんが客を選ぶ店になるのだろう。
 

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