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浅草風土記 №35 [文芸美術の森]

浅草の喰べもの 1

        作家・俳人  久保田万太郎
                        
 料理屋に、草津、一直、松島、大増、岡田、新玉(しんたま)、宇治の里がある。

 鳥屋に、大金、竹松、須賀野、みまき、金田がある。

 鰻屋に、やっこ、前川、伊豆栄がある。

 天魅羅屋に、中清、天勇、天芳、大黒屋、天忠がある。

 牛屋に、米久、松喜、ちんや、常盤、今半、平野がある。

 鮨屋に、みさの、みやこ、すし清、金ずし、吉野ずしがある。

 蕎麦屋に、奥の万盛庵、池の端の万盛庵、万屋、山吹、薮がある。

 汁粉屋に、松邑、秋茂登、梅園がある。

 西洋料理屋に、よか榛、カフェ・パウリスタ、比良恵軒、雑居屋、共遊軒、太平洋があ
る。

 支那料理屋に来々軒がある。

 この外、一般貝のたぐいを食わせるうちに、蠣めし、野田産があり、てがるに一杯のませ、且、いうところのうまいものを食わせるうちに三角、まるき、魚松がある。

 これらのうち、草津、一直、松島、大増、新玉、及び、竹松、須賀野、みまき等は、芸妓の顔をみるため、乃至、芸妓とともに莫迦騒ぎをするために存在しているうちである。
宴会でもないかぎり、われわれには一向用のないところである。
 往年、五軒茶屋の名によって呼ばれたうち、草津、一直、松島の三軒は右の通り、万梅は四五年まえに商売をやめ、今では、わずかに、大金だけが、古い浅草のみやびと落ちつきとを見せている。
 座敷のきどり、客あつかい。――女中が結城より着ないゆかしさがすべてに行渡っている。つくね、ごまず、やきつけ、やまとあげ、夏ならば、ひやしどり、いつも定っている献立も、どこか、大まかな、徒らに巧緻を弄していないところがいい。――われわれ浅草に住む人間の、外土地の人の前に自信をもって持出すことの出来るのは、このうちと金田とだけである。
 金田は、同じ鳥屋ながら、料理は拵(こしら)えず、鍋で食わせるばかりのうちである。先の主人は黙阿弥と親交のあった人だったそうだが、そういう人の経営したところだけ、間どりもよし、掃除もつねに行届き、女中も十四五から十七八どま。の、始終樺をかけた、愛想のいい、中気のきいたものばかりを揃えてある。諸事、器用で、手綺麗なのが、われわれには心もちがいい。――使うしなものも、われわれのみたところでは、人形町の玉秀、大根河岸の初音、池の端の鳥栄とともに、きびきびしたいいものを使っている。
 ただ、残念なことに、ここのうち、功成り、名とげて、近いうちに商売をやめるといううわさがある。もしそのうわさが真実ならば、われわれは、あったら浅草の名物を一つ失うわけである。われわれはそのうわさの真実にならないことを祈っている。
 前川というと、われわれは子供の時分の印象で、今でも、落ちついた、おっとりした、古風な鰻屋だということが感じられる。だが、このごろでは、以前ほどの気魄はすでに持合わさないようである。時代は、浅草のうなぎやとして、ここよりも田原町のやっこのほうを多くみとめさせるようになった。――無駄をいうことを許してくれるならば、わたしは、名代な、あの、おひさという女中。――六十は、もう、何年かまえに越したであろう
と思われる、このごろでは馴染の客の顔さえときどきみ忘れることがあるという、いつも正しく小さな馨に結い、樺がけで、大儀そうに、また、張合なさそうに働いているあの女中が、ところもたまたま駒形の前川といううちの運命を寂しく象徴しているといいたい。
 やっこは前川にくらべると、今でも、やや品下ったところがある。それだけ景気がいい。
活気がある。表の見世は入れごみだけれど、裏にまわれば、玄関、座敷、その他、芸妓を入れることの出来るような設備がしてある。

『浅草風土記』 中公文庫


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