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山猫軒ものがたり №47 [雑木林の四季]

星の彼方に 2

          南 千代

 黒猫のウラが星になった。十六歳、老衰で極楽大往生である。これでようやく、山猫軒が私たちの代に、と思っていたらまもなく二代目の黒猫が、エサを抱えて山猫軒の表玄関に座っていた。どこまでも主の座を、私たちには譲らないつもりらしい。
 二代目の名はオモテ。オモテはやがてトラとミケを出産した。産む時は、ちゃんと教えなさいと言うと、その晩そばにやってきてしきりに鳴きわめき、産むと言う。箱にタオルをひいてやり産座を造ってやったのだが、それからが大変だった。
 夜中に産んでいる間、終始、私に腹をさすらせるのである。さする手を止めると怒る。でも、その甲斐あって、産まれた仔猫は、産まれた瞬間からほんとうに可愛い顔をしていた。
「三代目は、黒猫じゃないのね」
 とオモテに言うと、ジロリと呪まれた。そして、しばらくすると、産まれたばかりの黒猫を一匹拾ってしまった。蛍を見に、夫と夜の川辺を歩いていて、草むらの蛍に近づいてみると、十センチほどしかない黒猫の目だったというわけだ。
 この仔猫は、新しくやってきた甲斐犬のカイの小屋にもぐりこみ、出もしないカイのおっぱいをしゃぶって育った。エサもカイのエサ箱に顔をつっこんで一緒に食べる。朝の散歩も犬と共に山を歩き、犬たちとじゃれあって遊ぶ。
 おかげで猫はきれい好きだという定説をくつがえし、いつも犬たちに嘗められてベトべトに汚れて平気な顔をしている。名前はネジ。ニヤーと言わずに、ギイッとネジが軋むような声を立てる。ネジは、男の子である。同じ男の子であるトラとも仲よしだ。
 スタジオの方に動物たちを連れてきてしまったので、山猫軒には動物をモチーフにした楽しいゲートを建てることにした。
 タヌキ、ウサギ、カエルやヘビたち。クワの刃や魚のワインボトルなどを盛り込んだアーチの項上には山猫のシルエットが。風が吹くと、プロペラが回ってチリリリリンと音も奏でる。出入り口は、閉じると猫の顔となる。造ってくれたのは、造形作家の中里檜魯洲さんだ。
 彼には、流れや風など、山猫軒周囲の自然を利用して動く作品展を行ってもらったことがある。「チャンプルマシーン」「水龍遊戯界」「風に立つ巨人」など。作品はいつも私を、意識の奥に潜んでいる遠い記憶への旅にといざなってくれる。
 山猫軒を訪れる人はみな、このゲートをくぐり、それぞれの物語へと扉を開くことになる。
 ギャラリィには、この家にあった古い文机の上に並ぶ、小さな小さな山猫文庫がある。宮沢賢治の物語や画本、星の本や花の本、賢治の世界を取りまくさまざまな本、など。山猫軒を訪ねる人々が、一冊、一冊持ち寄り、寄付してくれてできた文庫である。
 自作の画本を置いていってくれた作家もいれば、本ではないが日フィルの小山さんは「音で奏でる賢治の世界」のカセットを、ピアニストの加古さんは「賢治から聴こえる音楽」、コンサートビデオを、と音を贈ってくれた方もいる。本を揃えるのに役に立てば、と夫の高校時代の担任である池ノ谷先生が十万円を送ってくれた時には、夫もさすがに感激して、筆不精を返上してお礼を書いていた。
 初夏。西の森に陽が沈むと、シロッメ草のあかりが静かに灯る。姿を見せず、なやましい香りを漂わせてくるのはスイカズラ。やがて、蒼い空は黒々とした闇に沈み、燦然と登場した星たちが、壮大な銀河の叙事詩を歌い始めた。
 夫と二人、ふと迷い込んだ森で「山猫軒」を見つけて以来、私たちはいくつもの夏を、かけがえのない季節を、紡いできた。目ざめの朝、気がついたらいつも森へと足が向っているように、知らず知らずのうちに、宮沢賢治の「山猫軒」の名に導かれて歩いていたのかもしれない。
 山猫の森で出会った、たくさんの命の輝き、美しい風、人々の心。それらすべてのものがまた、私たちの命となった。この屋号をつけるきっかけになった黒猫のウラに心から感謝したい。
 明日もおいしい米を育て、野菜を作る。動物たちと遊び、庭を花で埋めたい。自然の水と空気のもとで、素晴らしい作品や音楽も楽しみたい。夫は炭を焼き、写真を撮り。私は、木いちごを摘みつつ、想像を描く。ギャラリィの囲炉裏端は多くの友を迎え、私たちはみんなで火を囲み、酒を酌み交わし、森の中で天上に輝く星を見つめるだろう。(了)

『山猫軒ものがたり』 麦秋社



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