雑記帳2024-9-15 [代表・玲子の雑記帳]
2024-9-15
◆長野県を走るローカル線、篠ノ井線に姥捨(うばすて)駅があるのを知っていますか。
初めてその名を知ったとき、余りに生々しくて、何て名前があるんだろうと思いました。
今は千曲市に属する姥捨は、その名の通り、姥捨て伝説に因む地名です。
その姥捨の棚田が、日本三大車窓の風景の一つであることを最近知って、JR東日本のツアーに参加しました。
篠ノ井線は、信州の山岳地帯を南北に走り抜け、長野と松本を結ぶ主要ルートになっています。日本列島を分断するフォッサマグナの真中にあって、長野盆地と松本盆地をむすんでいます。それは、盆地にある長野市と松本市を結ぶだけでなく、太平洋側と日本海側を結ぶ、重要なルートの一部でもあるのです。
その路線中にある姥捨は。芭蕉が句を詠み、広重が浮世絵に描いた名勝地です。
眼下に善光寺平、背後には盆地を囲むように山々が連なって、まことに美しい光景です。昔、地理で習った田毎の月はこの時期に見ることはできませんが、色づき始めた棚田の風景は 見る者の郷愁を誘います。田植え前の水をはった田圃は田毎の月が、田植えを終えた早緑の季節には田を渡る風が、秋には色づいた稲穂の波が、季節季節に旅人の心に残るのでしょう。
地理の専門家によると、ここは扇状盆地。土石流による岩石堆積物に粘土が混じって水が地下に抜けづらいため、千枚田ができたのだそうです。
九州を直撃した台風10号の影響で、前日は土砂降りの雨にみまわれたものの、この日は運よく晴れました。晴れたのはいいが、なにしろ今夏の猛暑にはお手上げです。棚田を巡る散歩は通常2時間のコースですが、暑さと坂道は高齢者には難度が高く、列車が来るまでの30分が限度でした。
愛用のデジカメでは距離感が上手く出ませんが、少しだけでもおすそわけしたい気分です。
姥捨駅
観光列車「リゾートビューふるさと」
普通列車だけど全席指定で中はゆったり
棚田の風景
駅の階段上からスマホで撮った
車窓の風景を楽しみながら列車は昼過ぎに松本駅に。
遅めのお昼に駅弁を貰って「あずさ」に乗りました。
その昔、領主の石川和正が月見の席で家臣にふるまったという月見五味弁当、容器も山の幸たっぷりの中身もなかなか豪華。
夕方早めの到着は夏中遠出を避けていた後の足ならしにはぴったりでした。なおかつ、「あずさ」は立川駅で途中下車もOK.という、まことに都合のいい旅でした。
棚田を見るのが目的とはいえ、それだけでは企画のしようがないとあって、付録もあります。前日は雨のなか、塩田平のいくつか寺をめぐったのをご紹介しましょう。
長野新幹線上田駅で降りて最初に向かったのは信濃屈指の古社、生島足島(いくしまたるしま)神社です。延喜式にも記載されるほど歴史は古く、日本列島のほぼ真中に位置する日本の総鎮守社です。
本社は、池に浮かぶ小島の上に鎮座する「池心の宮」という古代的形態を採るといわれ、なるほど、外堀から眺めた外観は池に浮かぶ社のようでした。東国の神社のような大きな規模ではありませんが、今も土地の氏神として大切に守られているようでした。
大鳥居
水に浮かぶ社?
日本遺産の境内にある歌舞伎舞台は、明治元年に建てられました。間口九間(16.36メートル)、奥行七間(12.27メートル)で農村歌舞伎舞台の中で最大規模を誇ります。江戸期の農村歌舞伎舞台の典型的な姿を完全に伝えており、県の宝に指定されています。現在は武田信玄の川中島合戦の「戦勝願文」や武将たちに忠誠を誓わせた起請文の展示室になって公開されています。これらの文書は国の重要文化財です。
県宝の神楽殿
塩田平は信州の鎌倉と呼ばれて多くの文化財がのこされています。
別所温泉のの周辺にある3つの寺は、石段をいとわなければ短時間で廻れる距離にあります。まずは北向き観音。
厄除け観音として全国の人々の信仰を集め、二年詣りの節分には数万人の善男善女でにぎわうとか。長野の善光寺の南向きとむきあっているので北向きと呼ばれ、善光寺の未来往生とこの寺の現世利益が一体とされて、両方詣でるのが常道といわれています。温泉に長期滞在して怪我や病気が治ったと言う現世ご利益のエピソードは多く残されていて、昭和の文人たちにも愛されました。境内の愛染桂の木は樹齢1200年になります。
薬師瑠璃殿 北原白秋の歌碑がある
梵鐘の前で説明するボランテイアさん
北向き観音の参道を抜ければすぐの所にあるのが曹洞宗安楽寺。信州最古の寺です。開祖の樵谷惟仙(しょうごくすいせん)和尚が宋から禅宗を伝えたのが、鎌倉ではなくこの地であったことが、信州の鎌倉と呼ばれるようになった由来です。国内唯一の木造の八角三重塔は国の重要文化財だけあって見ごたえがあり、一見四重塔のように見える裳階 も近づいて見ることができました。
安楽寺本堂
国宝の八角三重塔
常楽寺の開山はベ諸温泉を開いた円仁慈覚大師とつたえられています。安楽寺と共に北向き観音の本坊です。本堂は小さいながら風格があり、天台宗別格本山の名たらしめています。本堂の裏山にある遺志で栗田泓応は国の重要文化財に指定されていますが、今石造り多宝塔を残す寺は他にないという話でした。境内の、樹齢350年の御船の松は、舟の形をした美しい松でした。
常楽寺本堂
木立の中、柵の向うに石造り多宝塔。思いのほか小さかった。
樹齢350年の御船の松
別所温泉の3寺を案内してくれたボランテイアさんは、お坊さんの恰好をしていましたが僧ではなく、専業主夫だということでした。別れ際、「奥さんは働いているので、今から帰って夕食の支度をします。」
その夜の宿泊先は戸倉上山田温泉。ホテルの従業員さんに「お国はどちら?」と聞けば「ベトナムです。」
ジェンダーも人手不足も、すっかり今風ですね。
ちなみに、ベトナム出身の彼女がお給仕してくれた宿の夕食です。
食前酒には杏酒、先付には信州サーモンの生春巻き、県産牛にきのこたっぷりの杏風味のすき焼き、椀の味噌は町内産などなど、信州ならではの味をたのしみました。
長野県は戦時中の集団疎開で、大勢のこどもたちをうけいれましたが、疎開した子どもたちの中には障害児学級の子供たちもいました。戦後、首都では障害児の施設の復興が遅れる中で引き受け手はなく、上山田ホテルは戦後6年間、オルガンなどの設備もろとも受け入れて、障害児教育の場になったそうです。その様子は紙芝居になって伝わっていました。
考えてみれば誰もが疎開を余儀なくされたあの時代、障害児だって疎開したのだ。食糧難の時代「蛍の墓」はまれではなかった。いっぽうで、国の誤った政策に翻弄されながら、人々は懸命に生き、支え合った記憶がここにもあったのですね。
出発のバスを待つ間、たまたまロビーの隅に飾られていた紙芝居を見つけたところからわかったことでした。
2024-09-14 08:02
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