海の見る夢 №84 [雑木林の四季]
海の見る夢
-マテオ・ファルコ―ネー
澁澤京子
・・強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない。
~R・チャンドラー
子どもの時に読んで最も衝撃を受けたのは、世界名作少年少女全集にあったメリメの『マテオ・ファルコ―ネ』。マテオ・ファルコ―ネは、コルシカ島の山岳地帯に住む狙撃の名手であり、地元では信頼されている人望の高い人物。ある日、一人息子のフォルチュナートに留守番を頼み、夫婦は町に出かけてゆく。フォルチュナートは夫婦の間でやっとできた末の息子であり、大切に育てられた10歳にもいかない少年。フォルチュナートが留守番していると、そこに足を負傷した男が逃げてきて、かくまってくれと頼む。男は人望の厚いマテオ・ファルコ―ネの評判を聞いて逃げ込んできたのだ。男から銀貨を受け取り、フォルチュナートが男をわらの中にかくまうと、軍曹がやってきて怪しい男が来なかったかとフォルチュナートに尋ねる。男は泥棒でお尋ね者だったのだ。フォルチュナートは知らないふりをするが、軍曹に「教えてくれたら銀時計をやろう」と言われて銀時計に目がくらみ、泥棒の居場所を教えてしまう。泥棒が捕らえられたときにマテオ・ファルコ―ネとその妻が帰ってくる。「‥この子は家の血統に出た初めての裏切り者だ。」一部始終を知ったマテオ・ファルコ―ネは息子を裏庭に連れてゆき、息子にありったけのお祈りをさせると、銃殺する。
裏庭に響く一発の銃声、母親の悲鳴、コルシカの青い空と、まるで映画のように鮮明に脳裏に焼き付き、子供向け物語の優しい予定調和の結末に慣れていた小学生の私には衝撃的な物語だった。まるで、雲ひとつないコルシカの青空のような非情な世界・・いまだに私の中で最も強烈なハードボイルドはメリメの『マテオ・ファルコ―ネ』。マテオ・ファルコ―ネにとっては、息子が銀時計につられて匿った人を平気で裏切るような卑劣で小賢しい人間であることが許せなかったのである。雌山羊を盗んだ泥棒が捕まったことをマテオの妻は喜ぶが、「かわいそうに、腹を空かせていたのだろう」と泥棒に同情するのがマテオ・ファルコ―ネという男で、やむを得ない状況で逃げてきた男は絶対に匿うという「義侠心」、それを二枚舌で裏切った息子に対する「裁き」。もっとも男性だけが暴力的というわけでもなく、ギリシャ悲劇の『メディア』は、王妃メディアが夫に対する復讐・名誉のために二人の幼い息子を殺めてしまう話で、『マテオ・ファルコ―ネ』の物語はそうした古代ギリシャにあった荒々しさを彷彿とさせる。
・・「財産より人が大事」~コルシカの諺
コルシカ島の音楽にはコルシカ独特の男性だけによるポリフォニー声楽があり、ニノ・ロータのゴッドファーザーのテーマ曲にも似た哀愁の漂う旋律で美しい。
マテオ・ファルコ―ネの話は、映画『ゴッドファーザーpart1』のマーロン・ブランドの時代のマフィアをもまた連想させる。「信義」「友情」を重んじ、裏切りや密告、ウソや二枚舌は死に値するとされていた頃のマフィア。マフィアがシチリア島をルーツに持つように、実際、コルシカにはヴェンデッタという男性優位の家族中心社会の結束と掟があり、メリメはそうした風聞をもとにして『マテオ・ファルコ―ネ』を書いた。女性活動家のジョルジュ・サンドと同時代の都会育ちのメリメには、ジプシーの生活と同じくらい、保守的なコルシカの男尊女卑、家族の結束と荒々しい風習などは、野生的なエキゾチックなものに見えただろう。コルシカは、古代ローマ時代はローマの支配下にあり、ギリシャやアラブ人など様々な民族の行き来のある軍用基地だったらしい。ナポレオンもコルシカの出身で、ナポレオンが強い男尊女卑思想の持主だった事は想像に難くない。~参照『コルシカ島』ジャニーヌ・レヌッチ
藤澤房俊さんの『シチリア・マフィアの世界』によると、シチリア・マフィアのルーツは、地主や貴族から土地を安く借りて分割して農民に又貸しし、山賊の襲撃から農民を保護すると同時に農民を搾取し、農民の自律性を厳しく奪い管理していたガベロットという集団らしい。マフィアがその後、経済力をつけて政治や権力と癒着してゆくのも、もとは貴族・地主と農民の仲介にいたガベロットの立ち位置を考えれば自然な流れだろう。ちなみに、『ゴッドファーザー』のモデルとなったコルレオーネは、もともとアラブ人の多く居住していた地域で、それゆえにコルレオーネの住民の気性は荒いといわれていたという。また、マーロン・ブランド演じるヴィトのモデルは、ドン・ヴィトで、ボスの中のボスと呼ばれて大変人望の厚い人物だった。シチリアにはファッシと呼ばれる社会主義集団があり、マフィアと対立していた。ヴィトはもともとファッシに属していたがその後窃盗集団で財を成し、見る見るうちにのし上がっていく。成功してからも人々から崇拝されて表向きは上流紳士であったが、裏の顔は恐ろしいものであった。
ファシズム政権下のイタリアでは、特に旧体質のマフィアはファシズム体制に抵抗した。ムッソリーニがパレルモのマフィアのボスに公の前で侮辱されてからというもの、ムッソリーニは「マフィア撲滅」を掲げて、執拗にマフィア撲滅を目指すが、ムッソリーニのファシズム政権はマフィア潰しにより、逆にマフィア以上の残虐さを人々に知らしめることとなる。ナチ・ファシズムにも抵抗していたシチリアのマフィアは、連合軍にナチの情報を与えて大変重宝された。そして、マフィアはアメリカ政府の要人ともつながりを持つようになってゆく・・
マフィアが、社会主義集団と対立するのはわかるが、ファシズム政権とも対立していたことを藤澤房俊さんの本で初めて知った。(藤澤さんの『シチリア・マフィアの世界』は大変面白くてお薦めの本です)
マフィアの基本原理は(お金・拳銃)だが、それを(経済力・軍事力)と置き換えれば国家そのもので、マフィアというのは国家の縮小版のようなものなのかもしれない。さらに、農民の自律性を奪って徹底的に管理するところは、ファシズム政権にも似ている。そう考えると、マフィアがプライベートな家族では男尊女卑を強要する封建的な家父長制の(支配・被支配)の関係であったことも納得できる。
マイケル「僕は家族を守ろうとしただけだ・・」
ケイ「そして、あなたはどんどん恐ろしい人になっていった・・」
『ゴッドファーザーpart2』二代目のコルレオーネであるマイケル(アル・パチーノ)は大学卒のひ弱なインテリだったが、企業家マフィアとして成長してゆく。のちにマイケルは父親以上の非情を発揮するようになる。父親のような人望と魅力を持てなかったのが、企業家マイケルで、敵の潰し方も、投資家としての駆け引きでも優秀さを発揮するが,合理的で隙がなさ過ぎて人がついてこない。大学の同級生である妻ケイ(ダイアン・キートン)は結婚に友達夫婦を求めていた現代的な女性なので、コルレオーネ家の男尊女卑の強い家父長制にも、復讐による暴力の連鎖にも耐えきれず、ついに三人目の男の子を堕胎してしまう。男女平等の自由な価値観を持つケイと、家父長制のマフィア文化しか知らないマイケル。暴力を嫌い、夫と対等な関係、女の自由を求めるケイと、あくまで「ファミリーを守るため」と主張するマイケル。二人の価値観はかみ合わず、ついに二人は決別する。マテオ・ファルコ―ネは「裏切者」である我が子を殺したが、その逆に現代的な女性であるケイは暴力の連鎖と家父長制に耐え切れずに我が子を殺したのである。ゴッドファーザーのpart2では、一代目のヴィトが持っていた(義侠心)や人情を持たないまま、自分を裏切った兄を自殺に追い詰め、家族がバラバラになってしまったマイケルの孤独が浮き彫りにされる。マイケルが忠実なのは(裏切者は容赦しない)という冷酷なマフィアの掟だけだったのだ。
・・マフィアの名前の由来は現在のところ様々な学説がある。中でも有力なのはアラブ語の「Maha-Fat」(守る)を語源とする説である、別のアラブ語「Mahias」(ほら吹き、空威張り)をあげる説もある。トスカーナ方言にも「Maffia」(虚栄、悲劇)という言葉がある・・ ~『イタリア・マフィア』シルヴィオ・ピエルサンティ
マーロン・ブランドが最初『ゴッドファーザー』の主役を断ったのは、「マフィアを美化しすぎている」という理由なのも頷けるほど、企業マフィアとなってからのマフィアは冷酷と残忍を極めた犯罪集団と化し、マフィアが協力して政治家を当選させる、政治家の汚職を手伝うなどマフィアと政治家、企業家(主にアパレル業界))は癒着し、南イタリアのマフィアだけでも年間約14兆円を稼ぐという。麻薬、マネーロンダリング、武器取引、恐喝や誘拐などが主な収入源で、国家をもしのぐ勢いで世界中に拡大し、マフィアと戦う勇敢な警察や検察官、ジャーナリストは次々と殺されていった。
~参照『イタリア・マフィア』シルヴィオ・ピエルサンティ
国家をもしのぐ、と書いたが、(軍事力・経済力)を誇る国家が戦争で民間人を殺すのと、マフィアが人を殺すのと、一体どういう違いがあるのだろうか?国家は時に、マフィア以上の残虐を行ってしまうのではないだろうか。その大義名分は国家の場合「報復」「国を守る」であり、マフィアの場合は「復讐」「ファミリーを守る」なのであるが。
しかし、マテオ・ファルコ―ネには少なくとも(追い詰められた人間は盗人でも匿う)という義侠心があった。それに比べると、今のネット右翼の韓国人差別や、川口市のクルド人に対するヘイトと排除は、あまりにも卑劣で情けない。日本の武士道でも、信義、礼、仁、誠などを重んじたが、右派を自称するのであれば、そうした日本人の精神を少しは持っていてほしいものだ。ニューヨークタイムズが今の日本の移民政策では世界の競争から取り残されると指摘しているが本当にその通りで、「美しい日本」を標ぼうする排他的な人々によって、日本は逆に衰退してゆくんじゃないかと思っている。
2024-08-28 07:15
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