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山猫軒ものがたり №46 [雑木林の四季]

星の彼方に 1

          南 千代

 タヌちゃんに、自立の時がやってきた。動物たちも一緒に、暮らしの場を山猫スタジオに移し、つなぐ必要もなくなったので、自由にさせることにした。
 スタジオの周辺は人家がまったくないだけに動物が多い。キッネやタヌキをはじめ、ムササビ、野ウサギ、リス、さまざまな野鳥、時には早朝に子連れの猪まで見かけることがある。仲間が多ければ、タヌちゃんも自然に山に戻るかもしれない。
 自由になったタヌちゃんは、坂になった庭をビューツと一直線に駆けてはギギギッ、と後ろ足でブレーキをかけて止まり、また駆ける。筋力をつけるトレーニングに精を出しているようだ。しかし、毎朝、犬の散歩には山については来るけれど、なかなか山へ出ていこうとしない。
 放すのが遅すぎたのかな。タヌキの世界に社会復帰できないのだろうか。相変わらず夜、エサの時間になって犬たちを呼ぶと、タヌちゃんも一緒におすわりをして待っている。
 ある日、フッと姿を見せなくなった。ようやく仲間ができたかな、と思っていたら三日ほどして、ヨタヨタと山から歩いてくる。見ると、耳やアゴに大きな傷がある。噛まれたような跡だ。仲間に受け入れられなかったのだろうか。
 タヌちゃんは、しばらくガルシィアのそばで寝起きし、傷の回復を待っているようだったが、再び山に入っていった。そうだ、ガンバレ、タヌちゃん。山に還りなさい。
 毎日、二度は顔を見せていたのが二日に一度となり、三日に二度となり。その間隔がひらいていった。帰ってくるのは、いつもエサをやる時間だ。そのうち、エサをやると、これまではその場で食べていたのが、敷地の柵の外にエサを運んでいくようになった。犬たちが、ひどく吠える。
 見ると、外の物陰に別のタヌキがいた。タヌちゃんは、そのタヌキにエサを渡し、またもらいに柵を抜けてやってくる。他のタヌキに貢いでいるらしい。でも、少なくとも仲間はできたようだ。よかった。
 ところが、しばらくすると帰ってきたまま、山に戻らなくなってしまった。玄関先でノンビリと腹を出してひっくりかえったまま、春先の光の中で昼寝などをしている。困ったもんだ。食ってばかりいるから、腹はボンボン。手のひらで軽く腹を叩きながら、私は言った。
「タヌちゃん、腹鼓でも打って聞かせなさい、コレ」
「キイーツ、キイーツ」
 気持ちよさそうに、声をたてて甘えている。腹をさすっていて、私はふと思った。もしかして、赤ちゃんができているのではないだろうか。おっぱいをつまんでみると、白い汁が出てきた。間違いない。どうやら出産のための里帰りだったようだ.
 満月の夜。今夜あたり、産むのではないかと思う。不思議だけれど犬の華も、お産は満月の夜が多い。夜、眠りにつきながら私は、遠くにミュー、ミューという声を聞いたような気がした。気のせいか、風の声か。
 朝、庭に立った。タヌちゃんがいない。次の日、心配になって大声で呼んでみた。そこらにいるのなら、呼ぶと必ずやってくるのだ。裏薮をガサゴソいわせて、タヌちゃんが姿を現した。
「タヌちゃん、赤ちゃん産んだの?」
 私は聞きながら、犬の水をペチャペチャ飲んでいる彼女の腹を触ってみる。少しへこんでいるような気もする。その時、薮の中からしっかり聞こえてきた。ミュー、ミュー、ミュー。母タヌキを呼ぶ赤ちゃんの声だ。タヌちゃんは、あわてて薮の中に消えていった。
 翌日。薮の中にタヌちゃんの巣を見つけた。枯れ枝がこんもりと集まってできたほこらを利用したらしい。タヌちゃんが庭に来ているスキを見はからい、そっとのぞく。まだへソの緒をつけて目をしっかり閉じた赤ちゃんが、二匹いた。
 元気に育つといいね、タヌちゃん。お母さんになったんだね。

『山猫軒ものがたり』 麦秋社

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