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郷愁の詩人与謝蕪村 №36 [ことだま五七五]

春風馬堤曲 2

          詩人  萩原朔太郎

葱ねぎ買つて枯木の中を帰りけり
 と歌う蕪村は、常に寒々とした人生の孤独アインザームを眺めていた。そうした彼の寂しい心は、炉いろりに火の燃える人の世の侘しさ、古さ、なつかしさ、暖かさ、楽しさを、慈母の懐袍ふところのように恋い慕った。何よりも彼の心は、そうした「家郷ハイマート」が欲しかったのだ。それ故にまた

柚ゆの花やゆかしき母屋もやの乾隅いぬいずみ
 と、古き先代の人が住んでる、昔々の懐かしい家の匂においを歌うのだった。その同じ心は

白梅しらうめや誰たが昔より垣の外そと
 という句にも現れ

小鳥来る音うれしさよ板庇いたびさし
愁ひつつ丘に登れば花茨いばら

 などのロセッチ風な英国抒情詩にも現われている。オールド・ロング・サインを歌い、炉辺の団欒を思い、その郷愁を白い雲にイメージする英吉利イギリス文学のリリシズムは、偶然にも蕪村の俳句において物侘ものわびしく詩情された。

河豚汁ふぐじるの宿赤々と灯ともしけり
 と、冬の街路に炉辺ろへんの燈灯ともしびを恋うる蕪村は、裏街を流れる下水を見て

易水えきすいに根深ねぶか流るる寒さかな
 と、沁々しみじみとして人生のうら寒いノスタルジアを思うのだった。そうした彼の郷愁は、遂に無限の時間を越えて

凧いかのぼりきのふの空の有りどころ
 と、悲しみ極まり歌い尽つくさねばならなかった。まことに蕪村の俳句においては、すべてが魂の家郷を恋い、火の燃える炉辺を恋い、古き昔の子守歌と、母の懐袍ふところを忍び泣くところの哀歌であった。それは柚ゆの花の侘わびしく咲いている、昔々の家に鳴るオルゴールの音色のように、人生の孤独に凍こごえ寂しむ詩人の心が、哀切深く求め訪ねた家郷であり、そしてしかも、侘しいオルゴールの音色にのみ、転寝うたたねの夢に見る家郷であった。

『郷愁の詩人与謝蕪村」 青空文庫
  

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