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住宅団地 記憶と再生 №41 [雑木林の四季]

Ⅳ 公団住宅の「建て替え」事業とは何だったのか? 5
 
    国立市富士見台団地自治解消  多和田栄治 

建て替え事業の行きづまりと居住者要求の前進

 7項目要求を柱に当該各団地自治会がそれぞれ手探りで、かつ交流しあって活動を重ね、10年目にしてようやく居住者自治会にその展望が開けはじめる一方で、公団の建て替え事業は早くも行きづまりを見せていた。
 『住宅・都市整備公団史』(2000年)は事業の推移を、「順調な滑りだし」の第1期(1986~89年度)、地価バブルが崩壊し転換を迫られた第2期(1990~95年度)、新公団への橋渡しの第3期(1996~99年度)の3期に分けて述べている。90年代後半になると、家賃も分譲価格も高く空き家、未入居住宅がふえ、公団全体として住宅の建設戸数は減少していた。建て替えも完成はしたが末入居の住宅が目立ちはじめた。従前居住者の追い出しどころか戻り入居者の健保が必要となった。
 地価バブル崩壊後の全面建て替え方式の行きづまりと居住者の抵抗、自治会要求の高まりに挟まれて、公団は打開の道の一つを家賃減額の新制度にもとめた。それまでも、とくに高齢者等にたいする特別措置の手直し、概算家賃の再提示などをしてきているが、1997年にいたって家賃減額方式を変更し、98年8月には終身定額減額方式を設けるなど家賃減額の新制度を創設した。さきの『住宅・都市整備公団史』は、97年度はいわば過渡的な改正であって、98年度は「より長期的かつ安定的な家賃負担となるよう配慮した抜本的な制度改正」とのべている。
 「抜本的改正」の内容は、一般の家賃減額措置として、①居住期間20%定額減額、②10年間(初年度50%)傾斜減額、③20年間(初年度35%)傾斜減裾の選択3方式とともに、特別減額措置として高齢者世帯等の公営住宅基準層には公営住宅並みに減額する(本来家賃の50%を限度)措置などである。適用は1998年度以降に事業着手する団地の従前居住者とする。
 全国自治協は1986年の「建て替えの抜本的見直しを求める7項目」要求を中心に運動をすすめ、92年9月には新たに「戻り入居と定住を保障する家賃制度」を提言した。そのなかで戻り入居世帯の負担限度内での家賃設定とともに、とくに公営住宅入居基準をふまえた家賃減額をつよく要求してきた。家賃減額措置の改正は、建て替え完了団地への遡及通用、依然としてまだ高すぎる家賃引き下げの課題等を残しながらも、運動の大きな成果であった。
 1998年の従前居住者戻り家賃の減額新制度創設は、建て替え事業の行きづまりの表われでもあった。99年に住宅・都市整備公団は「住宅」の表看板を下ろし、都市基盤整備公団に改組して、事業の重点を住宅供給から都市基盤の整備、再開発に移すのがねらいだった。まず分譲住宅からは完全撤退し、賃貸住宅の新規建設も再開発にともなう供給だけに限定した。ついで、敷地の有効利用、戸数増を名目にはじめたはずの建て替え事業も、従前居住者の多くを追い出したうえ、公団が新規に建てるのは戻り入居希望戸数にかぎり、「余剰地」は売却、民間ティベロツパーが高層マンションを建てるという筋書きが用意されていた。
 分譲からの撤退、新規賃貸の限定のなかで建て替え事業は、着手実績にかげりを見せながらも、公団全体にとって中核的な位置を占め、公団改組は事業目的そのものを変質させていく転機をなした。都市公団はさらに4年目にして独立行政法大都市再生機構に変わり、建て替えから団地再生への事業の変質過程は「UR賃貸住宅ストック再生・再編方針」「活用・再生ビジョン」に読みとることができる。
 そのまえに、さきの建て替え第2・3期にあたる90年代の初めと終わりに着手した団地から武蔵野市の緑町団地、西東京市と東久留米市にまたがるひばりが丘団地、船橋市の高根台団地についてその経過と結果の特徴を検証してみよう。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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