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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」 №134 [文芸美術の森]

        シリーズ:江戸・洋風画の先駆者たち
             ~司馬江漢と亜欧堂田善~
                  第3回
            美術ジャーナリスト 斎藤陽一
       
      「司馬(しば)江漢(こうかん)」 その3

≪オランダ書をお手本とした江漢の銅版画≫

 司馬江漢は、しばしばオランダ書に載せられた「銅版画」をお手本に、自らの「銅版画」を制作しています。たとえば、下図をご覧ください。

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 左が江漢制作の小さな彩色銅版画「皮工図」ですが、これはオランダの銅版画をお手本としています。
 右が、オランダのヤン・ラウケンの銅版画集『人間の職業』の中の原図。このオランダ書には、100の職業が銅版画で表わされ、それぞれにキリスト教的な格言が添えられています。
 司馬江漢は、このオランダ書を愛蔵しており、生涯にわたって、自分の「洋風画」の源泉としました。

 この絵では、皮なめしの仕事をする西洋の職人図をお手本としていますが、原図の左右をそのまま写して描いたため、摺り上がった絵は、左右が逆になっています。
 だからと言って、原図を丸写しにしているわけではない。いかにも江漢らしく、広がりと奥行きのある風景として再構成し、川向うには、異国風の街並みも描き加えています。

 次は、司馬江漢が寛政6年(48歳)に制作した銅版画「画質」

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 手前の机の上には、地球儀やコンパス、書物などが雑然と置かれている。その向こうに、カンバスに向かって絵を描く画家(中央)と、銅版画用のプレス機で作業する職人(右端)が描かれる。
 窓の外には西洋風の風景が見えるので、ここは「西洋の画家のアトリエ」という次第なのですが、おそらく江漢は、自分自身の姿をこの画家の姿に投影しています。

 この銅版画が制作された頃、江漢の活動は、絵画以外に、「究理学」の探究へと広がっていきました。
 「究理学」とは、天文・地理・博物学などの科学的探究をする分野を指す言葉です。もともと江漢は、若い頃から、平賀源内や蘭学者らとの交友によって、この分野への強い関心を示していました。
 ことに、40歳代前半に行なった長崎旅行以後は、世界への関心が一層高まり、江漢の制作する「銅版画」も様相が変わってきます。

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 江漢のこの銅版画は、自ら所蔵するオランダの銅版画集『人間の職業』に記載されているいくつかの銅版画(下の三図)を合成し、それをもとに、江漢自身の想像力を発揮して構成したものです。

 面白いのは、この銅版画の下部に「日本創製司馬江漢」と大きく記されていること。これは「私こそが日本で最初に銅版画を創った元祖である」と誇らかに宣伝している文句でしょう。

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 次回は、司馬江漢が描いた「油彩画」を紹介します。
(次号に続く)

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